「クラブ」だった

藤田治彦「アーツ&クラフツ、芸術と社会」『鴨東通信』(思文閣出版)55、pp.2-3、2004


ウィリアム・モリス*1らによって結成された「アーツ&クラフツ」(A&C)の前身である「アート・ワーカーズ・ギルド」について。


ただし、アート・ワーカーズ・ギルドはその革新的名称とは裏腹に、保守的なイギリスのクラブという性格をもっています。つまり、顔見知り同志(sic.)、大学はオックスフォードかケンブリッジを出ていて相互にアイデンティティを共有しているといった、ある意味で極めて閉じられた社会の男性たちが、毎日の仕事のあと、あるいは週末に集まるクラブのような性格です。場所こそウェストミンスターではなくクイーン・スクエアになりますが、基本的にはクラブのひとつでした。その中で、特にウォルター・クレインのようなより社会に関心をもつ人々が中心になって、コンバインド・アート(合同芸術)の名を提案し、その後コブデン=サンダーソンが A&Cという名称を提案したとされています。そこで、1887年から1888年にかけて A&C展覧会協会ができたわけです。(p.2)
「アーツ&クラフツ」の前提としての、「工業化」を背景とした「デザイン」と「職人」を巡る状況の変容;

(前略)ひとつは、産業化とともに建築やメディアが多様化するようになって、デザインの仕事の全体的な量が増えました。もうひとつは質ですが、あの頃はそれまでの伝統的な様式が解体する時期でした。モリスの時代のゴシック・リヴァイヴァル、A&C運動時代のクイーン・アン様式のリヴァイヴァルなど、すでに復興主義の時代に入っていましたが、後者はより自由なリヴァイヴァルに変わっていきます。様式の限界が見えてくるし、近代意識がめばえ、複数の様式から「選ぶ」折衷主義の時代になります。本来の様式の時代が終わり、メディアの発達などに助けられて図像とか文献とかのさまざまな知識を蓄えた時代であり、デザイナーや建築家のレパートリーが増えた時代です。その選択的折衷とそれに続く混合的折衷の後にフリースタイルの時代が来ます。自由に組み合わせるし、また、部分部分の様式の真正さにもこだわらない。まだモダン・デザインではないですが、デザイナーの独自性が注目され、能力が発揮される時代になってきたわけです。それまでは、例えば古典主義のパラディオの法則に基づいてものを作れる職人はいたわけですが、職人は職人でしたし、スタイルは厳格でした。その後、質やバラエティが求められるようになってきて、その種の仕事に携わる人口も急速に増えたと思います。(pp.2-3)