承前*1
蓮實重彦「オリンピックなどやりたい奴が勝手にやればよろしい」『ちくま』602、pp.2-5、2021
最後の3つのパラグラフ;
誰?
とにかく、わが国には都市行政が不在だとしか思えぬほど、新しい道路のほとんどは、人びとの生活を抑圧していた。家の近くの井の頭線の代田二丁目の駅はいつのまにか新代田と変わっていたが、何が「新しい」のかは誰にもわからなかった。その前を通っていた細いでこぼこ道は滞欧中に環状七号と呼ばれて広い道幅となり、駅にたどり着くのにいつ緑に変わるのかわからない長い赤信号を苛々しながら待たねばらならくなった。それが甲州街道と交わる大原の交差点の近辺は四六時中渋滞が続き、その部分の甲州街道が地下に潜るまで、あたりに漂う排気ガスのせいでぜんそく患者が大量に発生するほどだった。だから、オリンピックはからだにも悪いのである。
環七といえば、ヨーロッパに向けて発つ数日前の晩に、高円寺に暮らしていた親しい女性と、青梅街道のあたりを散歩していたことが不意に記憶に甦る。それが環七と呼ばれることさえ知らずにいた二人は、青梅街道をまたぐ立体交差の禍々しいコンクリートの橋桁が途切れて月影に映えるさまを見やりながら、オリンピックで東京もひどいことになるだろうと呟きあったものだ。
その女友だちはオリンピックの翌年にヨーロッパに渡り、彼の地の男性と結婚して双子の娘を産み、以後、日本に戻って東京で暮らすことはなかった。つい最近、彼女は、なかば記憶を失ったままこの世を去った。その娘の一人が母親のことを語った小説がフランスで出版されたが、それを読む気になれずにいる。ただ、青梅街道を越える未完成の環七の橋桁の月夜の光景を記憶にとどめているのはいまや自分一人にしかいなくなったといささか感傷的につぶやきながら、できればオリンピックの「君が代=日の丸」騒ぎからは遠く離れて暮らしたいと願っている。近く八十五歳になろうとしている後期高齢者には、それぐらいの権利が保証されていてもよいはずではないか。(pp.4-5)