沢村忠

『スポーツ報知』の記事;


“真空飛び膝蹴り”「キックの鬼沢村忠さん死去…78歳
4/1(木) 4:00配信


スポーツ報知

 昭和プロスポーツ史を代表するスーパースターで、「キックの鬼」の愛称で親しまれた元キックボクサーの沢村忠(本名・白羽秀樹)さん*1が、3月26日に肺がんのため千葉県内の病院で死去していたことが31日、分かった。78歳だった。沢村さんは代名詞の「真空飛び膝蹴り」でKOを量産して一世を風靡(ふうび)し、半生を描いた漫画やテレビアニメでも人気を博した。葬儀は近親者のみで30日に執り行われた。

 昭和の巨星が旅立った。親族によると、沢村さんは26日午後4時18分に千葉県内の病院で家族や近親者にみとられて死去した。葬儀は30日に親族と近親者だけで行われ、千葉・市川市内の斎場でだびに付された。ひつぎには「キックの鬼」らしく、背中に般若の顔が描かれたガウンなど、現役時代の愛用品が納められた。

 沢村さんは昨夏に血たんが出るなど体調を崩し、検査したところ、4~6センチ大の腫瘍が見つかった。しかし、がんが骨まで転移していたため、手術は選択せず、放射線などの治療を行い、回復に努めてきたという。

 沢村さんは日大芸術学部時代に、最も実戦に近いとされる伝統派の剛柔流空手で60戦無敗の成績を打ち立て、後に「キックボクシング」の名称を考案した故・野口修氏に誘われ転向。1966年4月の日本キックボクシング協会(当時)の旗揚げ戦で「沢村忠」のリングネームでデビューした。

 代名詞の「真空飛び膝蹴り」や前蹴りなどで、232勝のうち228のKO勝利を量産。トレードマークの口ひげや、カミソリのごとく鋭い蹴り技で強烈なインパクトを与え、黎明(れいめい)期の日本格闘技界にスポットライトを当てた。

 70年には半生を描いたアニメ「キックの鬼」(TBS系で全26話、原作・梶原一騎)は、視聴率が毎回30%を超える番組になり、人気に拍車をかけた。73年にはプロ野球3冠王王貞治らを抑え、「第6回日本プロスポーツ大賞」に輝くなどスポーツ界を代表するスーパースターとなった。

 1977年10月の現役引退後は自動車整備士の資格を取得し、都内で整備工場を経営した。プロ競技には関わらず、神奈川・横須賀市内の道場で子供たちにキックボクシングを教え、競技普及に尽力してきた。親族の男性は「とても温かい人で何よりも曲がったことが嫌いで、『一意専心(一つの事柄に心を集中する意味)』という言葉が好きでした。お酒は一滴も飲まず甘党でした。趣味は水彩画でお花の絵を描いたりしていました」と人柄を語った。

 ◆「サワムラー」モデル

 〇…ゲームとアニメで人気の「ポケットモンスター」に登場するポケモンサワムラー」は、沢村さんがモデルとされている。自在に伸縮する足から放つキックが武器という設定となっている。

 ◆真空飛び膝蹴り 沢村さんが得意とした必殺技。相手が攻め込んできた瞬間に空中へ飛び上がり、相手の後頭部や首筋に蹴りやすい方の膝で打ち込む。持ち前のジャンプ力で、助走なしでの最高打点は185センチとされる。タイ式ボクシングで鍛えられたガードの堅いタイ選手対策として、半年間の秘密練習で身につけた。技の名前をつけたのは、沢村さんの試合を中継したテレビ実況アナウンサーとされている。

 ◆沢村 忠(さわむら・ただし)本名・白羽秀樹。1943年1月5日、旧満州中国東北部)生まれ。法大一高、日大芸術学部映画科卒。幼少期から祖父に剛柔流空手を習い、大学在学中にキックボクシングに転向。66年にプロデビューしKO勝利を飾った。2戦目はムエタイの強豪サマンソー・アディソンから十数回のダウンを奪われKO負け。以後、日本キックボクシング協会(当時)認定の東洋ミドル級王座を14度防衛し、同ライト級王座を20度防衛。77年の引退までの生涯戦績は232勝(228KO)5敗4分け。家族は妻と1男2女で、長女は元タレントの白羽玲子さん。現役時代のサイズは174センチ、61キロ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b562d58a648145dbf7d8ab4f61dea10aa451e26c

「キック、キック、キックの鬼だ」というリフレインを脳内再生しているのは多分私と同世代の人間なのではないだろうか。そういえば、この歌は沢村忠本人が歌っていたのだった。『帰ってきたウルトラマン*2にも本人役で出演していたが、現実とフィクションとのこのような相互浸透というのは当時に特有のものだったのだろうか。

二宮清純*3「昭和の英雄の回し蹴りには芸術美があった」https://news.yahoo.co.jp/articles/6079c2aebe12aa9360e02962162790057d9a3034


曰く、


 TBS系列でウルトラマンがスタートしたのは1966年7月である。この3カ月前、日本キックボクシング協会が旗揚げされ、沢村忠なるキックボクサーがデビューした。

 ウルトラマンと沢村には共通点があった。ともに相手を一瞬で仕留める必殺技を有していた。ウルトラマンスペシウム光線なら、沢村は真空飛び膝蹴りである。私たちの世代の男性で、この2つの技を真似(まね)しなかった者は、まずいないだろう。

 スペシウム光線は手でポーズを真似るだけだから、人さまに迷惑をかけることはない。だが真空飛び膝蹴りは違った。放課後の教室ではガラス窓が割れ路上の車のボンネットはへこみ、家では鼻血を流す弟がいた。

実は、私たちの世代にとって、「真空飛び膝蹴り」は唯一の「キック」というわけではなかった。ほかにも、ジャイアント馬場の「16文キック」、それから「ライダー・キック」があった。まあ3大キックといえるか。