上原正三

NHKの報道;


上原正三さん死去 ウルトラマンシリーズなど特撮作品手がける
2020年1月9日 12時27分


ウルトラマンシリーズなど数々の特撮作品を手がけたシナリオライター上原正三さん*1が、今月2日、肝臓がんのため亡くなりました。82歳でした。

上原さんは那覇市の出身で、大学を卒業後、円谷プロダクションに入社し、シナリオライターとして「ウルトラQ*2などを担当しました。

その後、フリーになりウルトラマンシリーズなど、数々の特撮作品の制作に携わったほか、アニメーション作品も多く手がけました。

平成29年には自身の経験をもとに、沖縄戦で傷ついた子どもたちが終戦後にたくましく生きる姿を描いた小説、「キジムナーkids」を発表し、翌年、岡山市の「坪田譲治文学賞」を受賞しています。

関係者によりますと、上原さんは近年体調を崩して自宅で療養を続けていたということで、今月2日、東京都内の自宅で倒れているのを家族が見つけ、病院に搬送されましたが肝臓がんのため亡くなりました。82歳でした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200109/k10012239831000.html

安藤健二上原正三さん死去。『帰ってきたウルトラマン』で差別問題を扱った脚本家が遺したメッセージとは?」https://www.huffingtonpost.jp/entry/uehara_jp_5e168aacc5b61f7019490423


円谷プロに誘ったのは金城哲夫だったか。
さて、『帰ってきたウルトラマン』第33話「怪獣使いと少年」について;


上原さんの作品で、特に傑作と名高いのが1971年に放映された『帰ってきたウルトラマン』第33話「怪獣使いと少年」だ。「宇宙人では?」と疑われ迫害される少年、無抵抗なまま群衆に殺害される宇宙人を軸とした重厚なストーリー。沖縄出身者や在日韓国・朝鮮人といった国内のマイノリティに対する差別を象徴的に描き出していた。

筆者は2003年3月、都内で上原さんにインタビューした際に、なぜ子供向け作品で「怪獣使いと少年」という問題作を書いたのかについて聞いた。

彼の答えは、「インパクトが見た人の心の中に残るから」というものだった。その上で、「クリエイティブの世界では、ある意味での狂気って必要」として過剰な自主規制を批判していた。

「あれも(放映したTBSの)局内ではかなり問題になって、修正も加えられたんです。それで僕と(監督を務めた)東條昭平は草鞋を履かされてしばらく(『帰ってきたウルトラマン』の制作から)遠ざかったからね。でも、そうやって作られたものはいい悪いじゃなくて、インパクトが真実の姿として、または映像として見た人の中に残っていくわけです。富山のある中学校の先生は、『怪獣使いと少年』を教材にして生徒達に教えたそうです」

「何でもかんでも自主規制がはびこると、作品自体を貧しくするという気はしますね。作家の想像力までを規制してしまう。作家がお利口さんになっちゃうのね。だって、作家って危ないものじゃない?表現の自由の中には、自分の良識の範囲内というのも当然ある。でも、クリエイティブの世界では、ある意味での狂気って必要だと思うんですよ」*3

See also


「「最後まで現役」ウルトラマン脚本家死去で関係者 子どもへの思い強く」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200110-00000009-ryu-oki
真喜屋力「小さな声に耳澄ます 少数者の代弁者 上原正三さんをしのぶ」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200110-00520137-okinawat-oki