テクストが廃棄されてから

オラクル・ナイト (新潮文庫)

オラクル・ナイト (新潮文庫)

ポール・オースターの『オラクル・ナイト』*1を巡るメモ。
『オラクル・ナイト』はテクスト*2が(文字通り)廃棄されることによって、始動される物語だといえる。そのスターティング・ポイントは押し詰まって、結末まであと30頁を切った297頁である。


私はそこで止めた。万年筆にキャップをして、机から立ち上がり、アルバム*3リビングルームへ戻しにいった。まだ早い時間だった。一時か、せいぜい一時半か。キッチンで簡単なサンドイッチをこしらえ、昼食を終えると、小さなビニールのゴミ袋持って仕事部屋へ戻った。一枚一枚、青いノートのページを私は破いて、粉々に千切っていった。フリットクラフトとボウエンの物語、ブロンクスの死んだ赤ん坊をめぐる長広舌、グレースの恋愛生活をめぐるわがメロドラマ・バージョン、すべてゴミ袋の中に入っていった。少し間を置いて、何も書かれていないページも破くことにして、やはり袋につっ込んだ。口をきつく二重に結んで、数分後、散歩に出たときに持っていった。コート・ストリートを南に折れて、空っぽになったチャンの店を過ぎてさらに何ブロックか歩きつづけ、それから、ここなら家から十分離れているという以外の何の理由もなしに、四つ角のゴミバケツに袋を放り込み、萎れたバラの花束とデイリー・ニューズの漫画の下に埋めた。
その数頁後;

(前略)私は青いノートを引き裂いて、ブルックリン、キャロル・ガーデンズのサード・プレイスとコート・ストリートの角のゴミバケツに捨てた。そのときはそうするのが正しいと思えたのだ。九月のその月曜の午後、問題の日から九日後、アパートメントに歩いて帰りながら、この一週間あまりの破綻と失望はもうおおむね終わったと私はほぼ確信していた。だがそれらは終わっていなかった。物語はまだはじまったばかりだった。本当の物語はようやくそのとき、青いノートを破棄したところからはじまったのだ。これまで私が書いてきたすべてのことは、これから私が語ろうとしている恐ろしい出来事の序曲でしかない。(後略)(p.300)
このパラグラフは、「いまにも訪れんとしている惨事に向けて、私は態勢を整えていたのだ」というセンテンスで終わる(p.302)。
さて、この小説は徹底的に過去を指向している。20年後(2002年)から回想された1982年9月の出来事ということになっている。ここで描かれる1982年は21世紀からの批判的な視線に晒され、意味づけられたものである。
テクストに何も書かれていないので、読者たる私の勝手な想像ということになるのだが、21世紀に至るまで、「私」(「シドニー・オア」)は「惨事」があったにも拘らず、着実に作家としてのキャリアを積み上げていることになる。或いは「惨事」があったから? では、何故『オラクル・ナイト』は書かれなければならなかったのか。グレースは生きているのだろうか。

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160818/1471499888 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160821/1471797879

*2:正確に言うと、作中で「私」(「シドニー・オア」)が青いノートに書きつけているテクスト。

*3:妻「グレースの妹フローから結婚祝いに贈られた特別のアルバムで、百枚以上の写真が入っていて、グレースの人生最初の二十七年間、私に出会う以前の日々のビジュアル史を形成していた」(p.286)。