Absence of evidence is not the evidence of absence

岩田健太郎*1「Go Toと感染者増 「主要な原因」との証拠はなくても」https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20201126-OYTET50003/


所謂Go Toと新型コロナウィルス第三波の関係を否定する人がいるんだね。
岩田先生曰く、


(前略)「エビデンスがない」は3年目あたりの小生意気な研修医が、しばしば誤用、悪用する常套(じょうとう)句です。我々はエビデンスの欠如は、エビデンスの非存在証明にあらず(Absence of evidence is not the evidence of absence)と警告するわけですが、「エビデンスがない」を議論放棄や、適当な言い逃れの道具として使うのは禁物です。現実には「エビデンスがない」というのは嘘で、「エビデンスは常にある」のですが、この辺の臨床医学的、論理学的議論は多くの方には面倒くさいでしょうから、興味のある方だけぼくのブログをお読みください。 https://georgebest1969.typepad.jp/blog/2014/06/14
シリーズ-外科医のための感染症-コラム-「エビデンスないんでしょ」「いやエビデンスは常にある」

さて、携帯電話データを用いた人の動きを解析した研究が最近発表されました。これによると、感染が増える要素として最大のものは「フルサービスのレストラン」、つまり、ファストフードとかではなく、きちんとした給仕サービスのあるレストランでの食事だったのです。このような会食の機会が新型コロナウイルス感染リスクを増すことは明明白白です。

Chang S, Pierson E, Koh PW, Gerardin J, Redbird B, Grusky D, et al. Mobility network models of COVID-19 explain inequities and inform reopening. Nature. 2020 Nov 10;1-8.*2

 新型コロナウイルスは蚊が媒介したり、渡り鳥が運んだりするようなウイルスではありません。ウイルスは旅をしない。人だけが旅をするのです。なぜ新型コロナウイルス感染症が世界規模の「パンデミック」になったかといえば、人々が世界中を移動したからです。よって、人の移動、旅行は明白な、そして(食料など超マイナーな例外を除けば)唯一の、感染拡大の原因です。

 さて、新型コロナの感染者の多くは他人に感染させないことがわかっています。少数派の感染者だけが、俗にいう「スーパースプレッダー」となって沢山の人に感染させ、クラスターを作ります。その感染は、感染者の移動と、人との邂逅(かいこう)がもたらします。

 問題は、無害で大多数な感染を起こさない感染者と、スーパースプレッダーである感染者を区別できないということです。いや、そもそも市内で感染者と非感染者を区別することすら困難であり、多くは不可能です。だから、たくさんの(たぶん)感染していない人にも対応が必要になるのです。ここがつらいところですね。


Go Toの直接的なデータは不十分なので、これの感染拡大への寄与はまだはっきりしません。いずれはっきりすれば良いと思いますが。ただ、先行研究を活用する限り、人の移動やレストランでの会食がCOVID-19感染拡大のリスクになっているのは確実で、こうしたものを制限することで感染拡大を防ぐことができるのは先行研究が既に示しているところです。

 であれば、Go Toはやはり感染拡大に寄与していると考えるほうがより合理的なのです。少しずるい言い方をするのならば、「Go Toが感染拡大の主要な要因ではない」というエビデンスは今のところ存在しないのです。


(前略)Go Toをもし運用するのであれば、「感染状況に連動した」形で運用すればよいのです。感染が流行しているときはGo Toキャンペーンは無効。各種クーポンは据え置き、で、感染が収束した地域から随時外食、買い物、旅行にクーポン使用を可能にすればよいのです。

 そうすれば、感染対策は「経済を回すための」インセンティブになります。感染対策は経済を回す前提になります。感染対策は経済の敵ではありません。繰り返します。感染対策は経済を回す前提なのです。そして、感染拡大が続き、Go Toという手が打てない期間は、経済破綻や自殺者が出ないように、人々の生存を確保するような生活支援をすればよいのです。旅行や外食を支援するのではなく。

 現在の日本の対策がいけないのは、感染対策と経済対策をあたかも対立概念のように扱い、あちらを立てればこちらが立たないかのように誤解し、そしてどちらも中途半端にやってしまって、どちらも失敗していることです。(後略)