山本寛斎

朝日新聞』の記事;


 山本寛斎さん死去 ファッションデザイナー、世界で活躍
2020年7月27日 13時37分


 ファッションデザイナーとして国際的に活躍し、国内外での大規模イベントのプロデューサーとしても知られた山本寛斎(やまもと・かんさい)さん*1が21日、死去した。娘の未来さんがインスタグラムで明らかにした。76歳だった。今年2月に急性骨髄性白血病と診断され治療中だった。

山本寛斎さんが半生を語った「人生の贈りもの」はこちら
 横浜市生まれ。日大英文科を中退後、コシノジュンコ氏に師事。1967年に「装苑(そうえん)賞」を受賞し、独立した。71年、歌舞伎の要素を服に取り入れ、ロンドンで海外デビュー。歌手デビッド・ボウイのステージ衣装を提供したり、ジョン・レノンも着用した「スカジャン」をデザインしたり、東洋の意匠を駆使した創作で脚光を浴びた。

 衣服のデザインのみにとどまらず、舞台「スーパーショー」のプロデューサーとしても活動し、93年にはモスクワの赤の広場に12万人を集めた「ハロー!! ロシア」を開催。ベトナムやインドのほか、国内では2005年愛知万博の開幕イベントも手がけた。
https://www.asahi.com/articles/ASN7W4FP1N7WUCLV009.html

「東洋の意匠」、但しわびさびの和ではなく、ブルーノ・タウト*2『日本美の再発見』で謂うところの「桂離宮」と対立する「東照宮」の系譜に属する和。或いは、岡本太郎的な和といえるかも知れない。それよりも、こっちの方が吃驚した。
『デイリースポーツ』の記事;

山本寛斎さん 弟・伊勢谷友介に病床で最後に聞いた「俺の生き方、どうだ?」
7/27(月) 17:24配信


 世界的なファッションデザイナー・山本寛斎(やまもとかんさい)さんが21日、急性骨髄性白血病のため死去した。76歳。今年3月に急性骨髄性白血病であることを公表し、闘病生活を送っていた。異母弟の俳優・伊勢谷友介(44)*3は27日夕、インスタグラムを更新し、追悼メッセージを投稿した。

 伊勢谷は「兄、山本寛斎が永眠しました」と投稿。「病床で、最後に僕に聞いた事。『俺の生き方、どうだ?』  僕は慌てて『凄いです。世界のファッションに早くから挑戦して、イベントの演出家として大きなショーを現実にしたことも。』と。  寛斎さんは満足気に小さく頷いた。。。」と病床での最後のやりとりを明かした。「俺の生き方、どうだ?」が寛斎さんの最後のメッセージだったと…。

 「父と過ごした記憶のない」伊勢谷にとって、寛斎さんは「社会を生きる大人の姿だった」とも述懐。「やりきる人生、命を使い切る人生。最後までカッコ良かったです」と追悼し、「あなたの血は僕の中に生きてます。『世界基準でやりたい様にやる』あなたに負けず、僕は『すべての人が容易く生きれる社会』を現実にしたいです」と兄の背中を追いながら、自らの目標に向かって進んでいく決意を記している。

 伊勢谷は芸能界デビュー当初、寛斎さんの「甥」とされてきたが、12年10月のテレビ番組で2人が対談した際、同じ父親を持つ、32歳年が離れた異母兄弟ということが明かされた。対談では、伊勢谷が幼い頃に父と別れ、母や祖父母に育てられてきたことなども公に。寛斎さんによると、父は何人もの女性と結婚、離婚を繰り返していた人物だったという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3d5c4fe9175b67a6289532698d4abee93cfa8641