〈普通〉のゆらぎなど

「マスの仮面」https://nessko.hatenadiary.jp/entry/2020/07/26/104314


『世界』の7月号に載った山田健太「メディアの変容と民主主義」というテクストが言及されている。


山田健太によれば、日本には米英のような高級紙という類の新聞はなく、朝日にしろ大新聞は中間層向けの新聞で、「いつでも、どこでも、誰でも、簡単に知識や情報が手に入る」ことをあたりまえのこととすることで戦後民主主義を担う大きな力となってきた、そのためには宅配でほぼ全域の世帯に新聞が届いているという事実が必要であったと書いています。大部数であることによって支えられた力で民主主義を守る、ということになりますね。

 新聞よりさらに大衆メディアとしての性格の濃いテレビも、NHKは受信料制度で、民法はスポンサーがつくことで無料で、日本では全国どこででも誰もが視聴できる環境ができています。いつでも、どこでも、誰でもが簡単にアクセスできる情報源として、たしかに大衆に恩恵を与えてきました。

 ところが、インターネットの普及以来、その地盤が揺るがされつつあり、受け取る側の大衆の意識も変化してきています。これまでのやり方のままでは先がない、という意見は業界内部からも出てきて、どうすればいいか模索中ということですが、ここで拙速にこれまでのやり方を古いと決めつけていいのか、というのが評者の意見です。

これを読んで思い出したのだが、2011年に内田樹氏が以下のように言っている;

かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。
讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。
その頃の日本人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。
政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。
「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。
国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口真似する」というかたちで自分の意見を表明することができたのである。
それらのセンテンスはほぼ同じ構文で書かれ、ほぼ同じ語彙を共有しており、ほぼ同じ論理に従い、未来予測や事実評価にずれはあっても、事実関係そのものを争うことはまずなかった。
それだけ言説統制が強かったというふうにも言えるし、それだけ対話的環境が整っていたとも言える。
ものごとには良い面と悪い面がある。
ともかく、そのようにして、マスメディアが一元的に情報を独占する代償として、情報へのアクセスの平準化が担保されていた。
誰でも同じような手間暇をかければ、同じようなクオリティの情報にアクセスできた。
「情報のデモクラシー」の時代だった。
(「ネット上の発言の劣化について」http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php *1
山田の場合でも内田の場合でも、「マス」という量を支えているのは〈普通(common)〉という感覚だろう*2。そして、「マスメディアが言論の場を実効支配していた時代」が終わったといわれるのも、それを支える〈普通〉感覚が揺らいだからだ。しかし、それを「インターネットの普及」のみに帰することはできないだろう。少なからぬ人が〈普通〉に対して、自分はそこから外されているんじゃないかという感覚、或いは〈普通〉というのは狭隘なものじゃないかという感覚を持っていたわけだ。所謂マイノリティの叛乱というのは、自分を排除する〈普通〉って何なんだ? という問いかけでもあるわけだ。
日本には高級紙と大衆紙という対立はないと言われている。でも一般紙とスポーツ紙の対立はあるでしょ? スポーツ新聞が扱っているのは「スポーツ」だけではない。藝能ゴシップもあれば、社会的事件の記事もある。また、政治や経済の記事だってあるだろう。つまり、スポーツ新聞を読んでいれば、世の中で何が起きているのか、朧気ながらもわかるわけだ。

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110814/1313322168

*2:〈普通〉が「マス」を支えるともに、「マス」が〈普通〉感覚をつくり出すという側面もある。