或る大学の先生曰く、
学生と話していて強く感じるのは、趣味が細分化してしまって、同年代でも話が合わないということ。
— George (@Dr_George_Osaru) 2020年5月10日
音楽だけとってみても、K-POPを聞いている人もいれば、親の影響で70年代のロックを聞いてる人もいる。
年代の「共通」が急速に失われている
逆に言えば、「年代」を異にしても、わかる奴はわかるということだろう。
最近、内田樹氏の「教養喪失と江口寿史現象」という文章(『子どもは判ってくれない』、pp.36-48)を読んでいて、内田氏が或る「世代」が「ほかの世代に対して閉じている」という傾向(p.36)が「「団塊の世代」から下になるにつれてどんどん顕著になっている」、「今の四十歳くらいからその傾向がぐっと強化されているのではないか」と指摘しているのを読んで、瞬間的にかなりの違和感をもったばかりなのだった。「閉じている」というよりも「世代」を構成すること自体が以前よりも困難になっている。ただ、「年代の「共通」が急速に失われている」のだろうか。寧ろ、「年代の「共通」」というのは印刷を嚆矢とした複製装置の出現以来、徐々に進行して来たのではないだろうか。複製装置というのはストレージというかアーカイヴィング装置でもあり、現在においては、例えばYouTubeを通じて、昔の音源や映像に容易にアクセスできる。昔は、異「年代」のマテリアルへのアクセスの困難さが地となって、「年代の「共通」」という図をつくりだしていたのかも知れない。
- 作者:内田 樹
- 発売日: 2006/06/09
- メディア: 文庫