マジョリティは遵守していない規範

「「砂をかむよう」5割以上が誤った意味で使用 文化庁調査」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191029/k10012155401000.html


文化庁の調査。


「砂をかむように」という慣用句は、本来、「無味乾燥でつまらない様子」という意味です。

今回の調査では、このように正しく使っている人は32.1%、一方で、「悔しくてたまらない様子」と誤った意味で使っている人は56.9%に上りました。

このほか「失望してぼんやりしている様子」を表す『憮然』という慣用句を、「腹を立てている様子」と誤った意味で使っている人は56.7%、「大いにありがたい」という意味の『御の字』を、「一応、納得できる」と誤った意味で使っている人は49.9%に上りました。

「砂をかむように」の誤用は鱓の歯軋りとの混同だろうか。記事では、「砂をかむ」の例として、堀内孝雄松浦亜弥が挙げられていた。でも、私にとっては何といっても、高石友也の「受験生ブルース」*1だな。「砂を咬むように味気ない/ぼくの話を聞いとくれ」。「味気ない」が続いているので、間違いようがない。
「砂をかむように」、「憮然」については、誤用の方がマジョリティになっている。そうすると、これを誤用といっていいのだろうか。誤用だと指摘すると、この数字を根拠に反論されるということがあるかも知れない。マイノリティしか遵守していない規範は規範として意味があるのかということは考えるに値する問題だろう。或いは、仮令誰も遵守しなくても規範が存在すること自体に意義がある。また、今度は正当な用法を守るマイノリティの権利の保護ということを考えなければならない。私見によれば、マジョリティは正しいという原則が文化的な事柄において確立してしまうと、歯止めが利かなくなってしまう懸念がある。実際、(客観的には正しい)正字正仮名を使用する権利が十全に保障されているとは言い難いのだ。
ところで、「御の字」の用法だけど、非常に微妙だと思う。「砂をかむように」を30%の人が正しく使っているなら「御の字」だ。これは正しいの? 「大いにありがたい」という意味? それとも「一応、納得できる」という意味?