片桐ユズルon「替歌」(メモ)


片桐ユズル「替歌こそ本質なのだ」http://yuzurukatagiri.net/?archives=parody


このエッセイはそもそも先日中川五郎高石ともやの「受験生ブルース」について調べるために見つけたものだ*1。発表されてら40年以上経った現在読んでもとても興味深かったので、少し抜き書きを行う。
主題は「替歌」なのだが、その根柢には「ふつうのひとが,いかにして,表現手段を獲得し,無能から一歩ふみだせるキッカケになるか」という問題意識があるように思える。これは、


関西フォークソングの歴史は1966年に高石友也の登場ではじまるといえるとおもうが,彼ははじめのうちは,とてもたどたどしいみたいだが,とてもいっしょうけんめいにうたった。あれならおれにもできる,と多くのひとがおもってギターを手にうたいだした。岡林*2はFのコードがちゃんとおさえられないとか,五郎は音程がくるうとか。だけど,こういうひとたちが,マスコミによってスターとして雲の上にあがらされてしまうと,おくれてきたひとたちにとっては身近なところにモデルがいなかった。人間とアミーバだけ見ていては進化論は出てこなかったとおなじく,ジャリとスターだけではどうしようもない。そのあいだにサカナとかサルとか恐竜とか,とくにガラパゴス島にいたような個性的なトカゲとか,そういうものがいないと運動はつづかない。
というパラグラフとも関係がある。まあ、こういう問題は「フォーク」のみならず、その後のパンク・ロックでもヒップホップでも反復されているんだろうね。
では、「替歌」はどう論じられているのか。
先ず、

(前略)いまの著作権法では,ひとの歌を曲でもことばでも何小節以上つかえば,印税をはらわなくてはならない。ということは替歌をうたったら,すごく金がかかるということだ。これは替歌を兵糧攻めにして公衆の面前ではうたえなくすることだ。ところが,あとでのべるように,替歌こそは民謡,いやフォークソングの本質は替歌にあるとおもうのだ。

歌というものを,詩と,音楽の,中間のジャンルとかんがえる。両極をとって,詩はことば100%の音響効果0%とかんがえる。音楽は音響効果100%の,ことば0%とかんがえる。すると,たとえば吉田拓郎の「人間なんてラララララララララ」というような歌はことばの量がすくなく,人間についての感情をララララであらわすには,音響的にひじょうにこらなくてはならない。しかし,これを,「人間なんて,どうせ死んだらガイコツになっちまうんだ」というふうにことばでいったとしたら,その分だけ,音響は手をぬいても,こころをつたえることができる。逆に,曲とか伴奏がぜんぜんなしで,ことばだけで,ひとを感動させようとしたら,とても慎重にえらばなくてはならず,たいへんに言語感覚がよくなくてはならない。ということは,歌という表現のジャンルは,そんなにことばがうまくなくても,そんなに音楽がうまくなくても,ことばと音響の相乗効果で,かなりの表現力をもつといういみで,とても非専門家むきだとおもう。

それからもうひとつ,歌というとすぐにレコードをおもったりするが,本人をまえにしての直接コミュニケーションだと,とてもつたわりやすい。しかし聴衆が多くなり,とおくからステージを見るようになると,いくらマイクがあっても,かなりうまくないとつたわりにくい。それがレコード,ラジオなど姿が見えなくなると,音だけしか手がかりがないから,とても音にこらなくてはならなくなる。そういうふうに場から独立することで,活字時代の芸術は,本,レコードなど,すすんできて,これらは本人がその場に存在するコミュニケーションの代用品であることがわすれられ,本やレコードのほうが本物であるような錯覚がうまれ,本物をさておいて,コピーだけのできばえをきそうような傾向がうまれた。しかしマクルーハンは,テレビはかえって本物に接したい欲求をつよめるといった。フォークソングや詩の朗読会,アンダーグラウンドの芝居やデモや座りこみなどは,本人がそこに存在することによるコミュニケーションの復活である。

さて,はなしを詩のほうへもどすと,パロディというのはひとの作品の特徴をまねて笑いものにすることだ。ところが「替歌」というと,元歌の曲節にことばをつけかえたもので,べつに不まじめでなくてもいいはずだ。この広い意味でも替歌は,特に才能のない普通のひとが詩とか歌をつくるときに,とてもたいせつな方法なのだ。いまの世の中では,ロマン派や個性主義がのこっていて,替歌ということは一段ひくく見られているが,一方では純粋芸術家たちは昔から海外のものをなんとかマネしようということばかりしてきた。

これ以降、日本民謡及び米国民謡から多くの引用がなされ、「民謡」が「替歌」(「パロディ」)、具体的に言えば、先行する作品からのぱくりと改変、共通の決まり文句の使用から成立していることが示される。また、柳田國男を援用した結びの部分;

さいごに,柳田国男は,民謡が生きているか死んでいるかの見わけ方は

現実に今でも群によつて歌はれて居る民謡は,同時に又成長しつつある民謡とも言へる。去年の踊の夜にはあゝは言はなかつたといふ場合もあらうし,あすが日来て聴けばもう文句が少しちがふといふ場合もあり得る。
と「民謡覚書(一)」でいっている。そして,民謡は古くなれば,廃止せられる方がむしろ普通で,だから民謡が生きているということは

民謡はいつの世にも必ず現代語にうたひかへられ,少しでも意味が不明になれば改刪され又は廃棄せられる。たとへ誤解にもせよ歌ふ者はよくわかった積りで居り,子供か子供に似た者で無いと,わかりもせぬのに口真似だけはしない。
ということは,いつも替歌しているということだ。たとえば

おまえ百まで わしゃ九十九まで
ともに白髪のはえるまで
という唄も,地域的分布の広さからいっても代表的なものだし,分類上のあらゆる種類の民謡にはいりこんでいる類型歌詞だが,むかしの『山家鳥虫歌』の採録では“おまえ”が“こなた”という時代方言であらわされている。

こなた百まで わしゃ九十九まで
髪に白髪の生ゆるまで
大阪府の旧九個荘村では「あんた百まで……」というふうに,同じことばが地域方言になっているそうだ。また

高い山から谷底見れば
おまんかわいや布さらす
では,おまんは固有名詞と感じているようだが,元来は鹿児島あたりでつかう“おまはん(お前さん)”という二人称の代名詞である。鹿児島ではさらに“おはん”ともいう例があるが,そのうちにだんだんと実在の人物とかんがえられるようになってきた,と『日本民謡辞典』は説明している。ムカシムカシではじまり,きちんとおわりのことばで結ぶという形式をもち,一言一句変えたりしないようにおもわれていた昔話も,稲田浩二『昔話は生きている』(三省堂,1970)によれば聞き手や時と場合によって,ふくらんだり,そっけなくなったり,それが伝承が生きているということで,はなしにしろ,うたにしろ,聞き手も,やる方も,たえず変えることで,生かしているのだ。替歌はもっとも本質なのだ。