宇多田がわからない問題

First Love

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上野一舞「電話、メール…35年でヒット曲「通信手段」の歌詞激減」http://r25.jp/off/00051768/?vos=nr25


曰く、


先日、宇多田ヒカル*1「Automatic」(1998年発売)の歌詞が、「もはや意味が通じない」とネット上で話題になった。「受話器を取った君」といっても家庭に固定電話のないスマホ世代は「受話器」を知らず、「名前を言わなくても声ですぐ分かってくれる」という歌詞に対しては、「彼氏なのに連絡先登録してないの?」と疑問が浮かんでしまうというのだ。
さて、固定電話どころか、新旧の「通信手段」が歌詞に登場しなくなっているのだという;

まずは、オリコンシングルランキングTOP10を年代別に振り返り、“通信手段”が登場する回数をカウントしてみたところ。


1980年代…「手紙」4回、「電話」3回、「受話器」2回、「ダイヤル」5回
1990年代…「手紙」3回、「電話」8回、「受話器」2回、「ポケベル」1回、「PHS」1回、「留守電」1回
2000年代…「手紙」1回、「電話」6回、「携帯」2回、「メール」1回
2010〜15年…「電話」1回


2010年代になれば「LINE」や「Twitter」が多くなる…? と思いきや、年間TOP10に入っている曲で通信手段が登場したのは、乃木坂46「気づいたら片想い」の「電話かけて声を聞きたい」の1回のみ。2010年代のオリコンシングルランキングのほとんどをAKB48グループが占めているため、これは秋元 康の歌詞の傾向かも…と、2010〜15年までのiTunesダウンロードランキングベスト10も調べてみたが、結果は、西野カナ「Darling」の「携帯忘れたかも」の1回のみ(それも、彼に連絡したいという気持ちとは無関係)。
そうなんだ。50位くらいまで範囲を拡げたらどうなるのだろうか。まあ、固定にせよケータイにせよ、親密な「通信手段」(というか、共有された時空をつくり出す装置)としての「電話」の特権性は揺るがないような気もするけど(Cf. 吉見俊哉、若林幹夫、水越伸『メディアとしての電話』)。歌詞の中にどう位置づけられるのかはわからないけれど、LINEの盗み読みが物語を動かすトリガーとして小説やドラマで使われることが増えるというのはあり得るのでは? 
メディアとしての電話

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