安重根/千葉十七

河北新報』の記事;


宮城
日韓友好共に願う 安重根と千葉十七を顕彰 栗原で合同法要
2019年09月23日 月曜日


 初代韓国統監の伊藤博文を1909年に暗殺し、死刑となった韓国の独立運動安重根*1と、その看守だった千葉十七をしのぶ第39回合同法要が22日、栗原市若柳の大林寺であった。日韓両国から約130人が参列し、東洋の平和を願った2人の冥福を祈り、悪化の一途をたどる両国の政治情勢に惑わされず、民間交流を続けることを確認した。

 合同法要は、住民有志と在日韓国人らが千葉の菩提(ぼだい)寺の大林寺に2人の顕彰碑を建立した81年から続く。

 今年は韓国から11人が参列した。訪問団団長の金漢克さん(84)は「政治による両国関係の悪化はあってはならないこと。国民同士の親密な交流で困難を乗り越えたい」と話した。

 千葉の親族の栗原市栗駒、農業千葉政一さん(66)は「十七は今よりも厳しい状況下で(安と)信じ合った。政治がこんな状況だからこそ、2人の気持ちを大切にすべきだ」と語った。

 韓国からの訪問団は、両国関係悪化の影響で例年より10人ほど少なかった。しかし、関係改善を願う地元住民、国内の在日韓国人らが多数訪れ、全体の参列者は昨年よりも3割増えた。

 大林寺住職の斎藤泰彦さん(84)は「関係がぎくしゃくしているからこそ民間交流を続ける必要がある」と訴える。

 安は09年、旧満州ハルビン駅で伊藤博文を暗殺。栗原市出身の千葉は収監中に看守として接し、安の東洋平和の思想や見識、人格に敬意を抱くようになり厚遇した。

 安は処刑前、「韓日友好がよみがえったとき、生まれ変わってお会いしたい」と告げ、千葉も両国の友好を願う日々を生涯送ったという。
https://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201909/20190923_13011.html

ところで、現宮城県出身の千葉さんといえば、『北斗の人』の千葉周作*2。周作先生が生まれ・育った土地については諸説があったものの、「本吉郡気仙沼村」(現在の気仙沼市)に生まれ、「栗原郡荒谷村」(現在の大崎市古川荒谷)で幼少期を過ごしたということに落ち着いているようだ*3Wikipediaから引用;

出生地には岩手県陸前高田市宮城県栗原市花山(生まれも育ちも主張)の2説があったが、近年の研究により宮城県気仙沼市本郷で生まれ、栗原郡荒谷村(現宮城県大崎市古川荒谷)にて幼少を過ごしたとする説が最も有力視されている。花山説にあっては、観光目的として自作自演(根拠としていた千葉吉之丞の墓は捏造の墓石、さらに系譜も手が加えられた贋物だったことが判明したが、これに表立った反論がない)を行ったと村の観光促進事業内部にいた研究者から暴露本を出版されるなど問題が多く、実際には千葉家の親族が住まいしていた可能性が高い。また、孤雲屋敷も周作とは関係のない古民家を移築しただけである。陸前高田市説にあっては佐藤訓雄による研究で、陸前高田市気仙町字中井の天満宮下で出生したとする説が有力とされていたが、陸前高田市に周作の出生地とされる気仙町ができたのは明治8年のことで時系列に決定的な疑問が残る。気仙沼市本郷説にあっては、すでに千葉3兄弟自筆の一次史料が発見されており、今後の研究が待たれるところである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%91%A8%E4%BD%9C
千葉十七は千葉周作と同族だったのかどうか。
北斗の人 (講談社文庫)

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