Turning points?

「あいちトリエンナーレ」を巡ってはとんでもない事態になっている。後世の歴史家はこの日を、たんなる美術史に止まらない、政治史或いは国家史にも及ぶ日本史上の転換点として記述するかも知れない。匿名のちんぴらが実行し、政治家が煽って・追認するという仕方で行われた。とりわけ河村たかし*1の罪は重大だと思う。
この事態に対する日本ペンクラブの応答を引用しておく;


日本ペンクラブ声明、企画展「展示は続けられるべきだ」
表現の不自由展・その後

2019年8月3日18時09分



 愛知県で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」について、日本ペンクラブ(吉岡忍会長)は3日、「展示は続けられるべきである」との声明を出した。

 全文は以下の通り。

     ◇

 制作者が自由に創作し、受け手もまた自由に鑑賞する。同感であれ、反発であれ、創作と鑑賞のあいだに意思を疎通し合う空間がなければ、芸術の意義は失われ、社会の推進力たる自由の気風も萎縮させてしまう。

 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」で展示された「平和の少女像」その他に対し、河村たかし名古屋市長が「(展示の)即刻中止」を求め、菅義偉内閣官房長官らが同展への補助金交付差し止めを示唆するコメントを発している。

 行政の要人によるこうした発言は政治的圧力そのものであり、憲法21条2項が禁じている「検閲」にもつながるものであることは言うまでもない。また、それ以上に、人類誕生以降、人間を人間たらしめ、社会の拡充に寄与してきた芸術の意義に無理解な言動と言わざるを得ない。

 いま行政がやるべきは、作品を通じて創作者と鑑賞者が意思を疎通する機会を確保し、公共の場として育てていくことである。国内外ともに多事多難であればいっそう、短絡的な見方をこえて、多様な価値観を表現できる、あらたな公共性を築いていかなければならない。
https://www.asahi.com/articles/ASM835TR9M83UCVL00C.html

ところで、2006年に故加藤紘一の実家が老右翼によって放火された際の稲田朋美のリアクションを思い出した。(当時の)第一次安倍晋三政権をプッシュするシンポジウムにおける稲田の発言を伝える『北海道新聞』の記事に曰く、

稲田氏は、地元福井の新聞で首相の靖国参拝を批判する加藤紘一元幹事長と対談したことを紹介。加藤氏の実家が右翼団体幹部に放火された事件について「対談記事が掲載された十五日に、先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話した。約三百五十人の会場は爆笑に包まれた。(Cited in http://shizunaijin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_de5b.html https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060930/1159643737
また、稲田はその後、李纓ドキュメンタリー映画靖国 YASYKUNI』への文化庁の助成にいちゃもんをつけている*2
さて、今回の「あいちトリエンナーレ」を巡っては、稲田朋美は無実である。申し添えておくと、過去の稲田関係の事件に言及したのは現在の稲田氏をそれによって貶めるのが目的ではなく、今回の事件の〈原型〉的なものが見出せるからだ。
靖国 YASUKUNI [DVD]

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