2つの議会主義(メモ)

明治デモクラシー (岩波新書)

明治デモクラシー (岩波新書)

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091227/1261858149を読んで、坂野潤治『明治デモクラシー』の一節を思い出したので、以下ちょっとメモ。
坂野によれば、「明治デモクラシー」の二大潮流は、議院内閣制・二大政党制論(福沢諭吉徳富蘇峰)と主権在民論(植木枝盛中江兆民)ということになる。

明治一三、四年の自由民権運動の最盛期に、植木枝盛ら愛国社グループは、ルソーの『社会契約論』に学んで、拒否権型議会主義とでも言うべき主張を確立した。議会の多数を握って「主権在民」の実現をめざすが、行政権たる政府は握らないという立場である。この立場は(略)ルソーの「定期人民大会」を、議会に代行させようというものであった。
これと真っ向から対立したのが、いわば参加型議会主義で、議会の多数を得た政党が政権をとり、行政と立法の双方を民意にもとづいて運営するというもので、福沢諭吉徳富蘇峰が提唱したものであった。
二一世紀の初頭に生きるわれわれにとっては、前者の道は、一九五五年以来の自民党一党独裁の下における日本社会党日本共産党、総評などによって追求され、挫折した路線を想起させる。社会党共産党衆議院過半数を獲得したことはないから、ルソーや植木や中江のめざしたものとは違う面もあるが、総評や院外の民衆運動をあわせると、結構「定期人民集会」に似た役割を果たしてきたのである。しかし、二〇〇三年一一月の総選挙は、この路線を完全に終焉させ、今日の野党勢力の間では、福沢、徳富路線が主流で、植木や中江や戦後の社共は真面目には相手にされなくなっている。(pp.140-141)
社会契約論 (中公文庫 D 9-2)

社会契約論 (中公文庫 D 9-2)

また、「あとがき」に曰く、

(前略)国会では万年野党ながら、日本社会党日本共産党が院外の民衆運動と結びついていた時には、積極的に「善政」は行えなかったかわりに、消極的に「悪政」を阻止する力はあった。逆に二大政党制の実現が視野に入ってきた一九九〇年代以降は、「善政」の可能性は出てきたが、総選挙の時以外には院外の国民が政治を動かす力を失ってしまっている。(p.224)
古寺多見さんに対しては、「消極的に「悪政」を阻止する力」というのが答えになるかと思うのだけれど、逆に言えば社会党の駄目だったところ(駄目なところ)というのは、そこに由来する〈野党ボケ〉ということになる。権力を握ることの重みがわかっていない。だから、偶々与党になると、かなりお手軽に自らの思想信条を捨ててしまう。

伝統的な社会党の護憲論は、自らは少数派であることを自明の前提とした上で、権力の側に軍事力の増強に一定の自制を働かせるという効果をねらったものであった。自らが権力をとった場合、理想をいかにして実現するかについては具体的なプログラムが存在しなかった。言うなれば、社会党の「政策」は運転者に注意を促す標語が書かれた道端の看板のようなものであった。(『日本政治の同時代的読み方』、p.12)
という山口二郎氏の1994年の指摘*1は妥当だろうと思う。
日本政治の同時代的読み方

日本政治の同時代的読み方

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091031/1256930849