雀鬼だった

承前*1

週刊文春」編集部「川崎スクールバス殺人 岩崎隆一容疑者に「雀荘」勤務の過去」https://blogos.com/article/382233/


曰く、


1985年3月に職業訓練校を卒業後、しばらくして岩崎容疑者は町田市内の「J」(現在は閉店)という雀荘に出入りするようになる。そして1年が過ぎた18歳の頃、メンバー(従業員)として働き始める。主な仕事はドリンクの注文や灰皿の交換などの接客、そして客の人数あわせで卓に入って麻雀を打つ「本走」の2つだった。

「J」の元オーナーが当時を振り返る。

「彼は麻雀が物凄く強かった。責任感も人一倍あったので、夜中から朝10時までの夜番の主任を任せていました。メンバーは自分のカネで現金打ちをするから、給料が20万円でも負けが続けばアウト(店への借金)を作ってしまうものですが、彼はいつも7、8万のカネをポケットに入れて、それだけで賄っていた。麻雀をやる人間は、ゲームの時に財布を出すと舐められるから財布を持たない。事件後の報道で、彼のポケットに現金で10万円が入っていたと聞いて『彼らしいな』と思いました」

彼の雀荘時代というのは昭和末期のバブル時代と重なっているように思える。そうした時代性は、彼の(恐らく平成になってからの)ヒッキー人生に影響を与えたのかどうか。