出世した?

共同通信(『琉球新報』)の記事;


日本ヤタガラス協会が設立総会 和歌山・那智勝浦
2019年5月18日 21:01


 世界遺産熊野三山で神の使いとして祭られ、全国各地に伝承が広がる3本足のカラス「ヤタガラス」*1を通じて地域振興を図る「日本ヤタガラス協会」の設立総会が18日、和歌山県那智勝浦町で開かれた。

 総会で、同県新宮市教育委員会の元学芸員で国際熊野学会の代表委員山本殖生さん(70)を会長に選出。事業計画案などを承認した。全国の伝承を調査し、講演会の開催などを計画している。将来は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界無形文化遺産への登録を目指す。

 同協会によると、3本足のカラスは中国大陸から朝鮮半島を経て日本に伝わったとされ、日本サッカー協会のシンボルマークでもある。

共同通信
https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-920698.html

Wikipediaによると、「『古事記』や『日本書紀』には八咫烏が三本足であるとは記述されておらず、八咫烏を三本足とする最古の文献は、平安時代中期(930年頃)の「倭名類聚抄」であり、この頃に八咫烏が中国や朝鮮の伝承の鳥「三足烏(さんそくう)」と同一視され、三本足になったと思われる」ということだ*2。中国大陸における「3本足のカラス」というと、『楚辞』「天問」でも言及されている〈十日神話〉だろうか。昔は太陽が10個あって、それぞれその中に烏がいた。堯帝が弓の名人、羿に命じて、9羽の烏=9個の太陽を射ち落させ、太陽の数は(現在のように)1個になった。太陽の象徴とはいっても、撃ち落される対象に過ぎない。八咫烏も日本に来て、かなりの大出世ではないだろうか。このょうに中国では太陽信仰はあまり盛んではなかった。中国において太陽信仰が強調されるのは寧ろ近現代なのではないだろうか。先ずは青天白日旗というのが登場し、さらに「東方紅、太陽昇/中国出来了毛沢東」とか「北京有一個金太陽」とか、太陽に擬えられて毛沢東が賛美されるに至る。
楚辭―譯註 (岩波文庫 赤 1-1)

楚辭―譯註 (岩波文庫 赤 1-1)

ところで、八咫烏といえば、その末裔と自称する雑賀衆、特に雑賀孫市*3でしょう。雑賀孫市というと、どうしても司馬遼太郎の小説『尻啖え孫市』のイメージに引き摺られてしまうのだけど、「孫市」(或いは「孫一」)というのは代々襲名されているものなのだった。
尻啖え孫市 (講談社文庫 し 1-6)

尻啖え孫市 (講談社文庫 し 1-6)

See also


大五木材「八咫烏雑賀衆と森のしるし」http://morinokakera.jp/?p=62173