春樹と「水」

村上春樹ラオスにいったい何があるというんですか?』*1を読んでいて、気づいたのは、村上氏が「水」或いは「川」にけっこう強いこだわりを持っているということだ。そんなの昔から知っていたよという人も少なくないだろうけど。
漱石からくまモンまで」の書き出し;


熊本ではほぼ毎日のように雨が降っていた。豪雨というほどの降りではなかったが、なかなか降り止まなかった。でもなにしろ訪れたのが梅雨のまっただ中だから、いくら雨が降っても文句は言えない。ちょうどせっせと田植えがおこなわれている時期だ。雨がしっかり降ってくれないと農作業に差し支えるし、僕としても(一人のまずまず健全な日本国民として)雨降りを「天からの恵み」として甘受するほかはない。そしてまた、おそらくはそんな雨降りのおかげで、熊本の街は見事に鮮やかな緑に染まっていた。東京から来ると、都市でありながら、いたるところにふんだんに緑が溢れていることにまず感心してしまう。あちこちに咲き乱れているカラフルで大振りな紫陽花にも、そしてまた街の中を流れる川の多さにも。阿蘇の山並みに源流を持つそれらの川は、有明海へと足早に向かう濁り水でずいぶん増水していたが、そのきっぱりとした潔いまでの流れっぷりには独特のものがあり、橋の上からじっと眺めていると「ああ、けっこう遠くまでやってきたんだな」という軽い感慨に打たれることになった。川だって、場所によってそれぞれ固有の流れ方があるのだ。(pp.219-220)
「チャールズ河畔の小径」は、

1993年から951年にかけて、ボストン近郊でおおよそ二年間生活したあとで(そのあとでもまた一年間そこで暮らすことになるのだが)、情景的に今でもいちばん深く印象に残っている場所といえば、なんといってもチャールズ河沿いの道路だ。僕は事情さえ許せば一年中毎日のように、ジョギング・シューズを履いてこの道を走っていたからだ。たまにスピード練習のために、タフツ大学の400メートル・トラックをぐるぐる走ることもあったけれど、基本的にはこの河に沿って続く長い道路が僕のターフ(ホームグラウンド)だった。(p.13)
というパラグラフから始まる。
さらに、「水」一般についての考察がなされている;

僕は思うのだけれど、たくさんの水とを日常的に目にするというのは、人間にとってあるいは大事な意味を持つ行為なのではないだろうか、まあ「人間にとって」というのはいささかオーヴァーかもしれないが、でも少なくとも僕にとってはなかり大事なことであるような気がする。僕はしばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かをちょっとずつ失い続けているような気持になってくる、それは音楽の大好きな人が、何か事情で長いあいだ音楽から遠ざけられているときに感じる気持ちと、多少似ているかもしれない。あるいはそれには、僕が海岸のすぐ近くで生まれて育ったということもいくらか関係しているのかもしれない。(pp.15-16)
そして些かやばいレトリック;

[チャールズ河の]水面は日々微妙に変化し、色や波のかたちや流れの速さを変えていく。そして季節はそれをとりまく植物や動物たちの相を、一段階ずつ確実に変貌させていく。いろんなサイズのいろんなかたちの雲が、どこからともなく現れては去っていき、河は太陽の光を受けて、その白い像の去来を鮮明に、あるいは曖昧に水面に映し出す。季節によって、まるでスイッチを切り替えるみたいに風向きが変化する。その肌触りと匂いと方向で、僕らは季節の推移のノッチ(刻み目)を明確に感じとることができる。そのような実感的な流れの中で、僕は自分という存在が、自然の巨大なモザイクの中の、ただのピースのひとつに過ぎないのだと感じとることになる。まるで朝鮮民主主義人民共和国の壮麗なマスゲームの中のひとりみたいに。それは、比喩の穏当さはともかくとして、まずまず悪くない気分だ。(pp.16-18)