今朝話

福井新聞』の記事;


僧衣で運転し反則切符、問題は「着方」 福井県警が回答
1/10(木) 11:31配信 福井新聞ONLINE


 福井県内の40代の男性僧侶が僧衣を着て福井市内で車を運転中、操作に支障があるとして県警に交通反則告知書(青切符)を切られたが、納得がいかないとして反則金の支払いを拒否し、宗派を巻き込んだ事態になっている。福井県の規則で「運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服」での運転が禁じられているためで、県警は1月9日、福井新聞の取材に「僧衣や和服が一律に違反になるわけではない。衣服の種類や形ではなく、着方を見て違反だと判断した」と回答した。

 男性僧侶は浄土真宗本願寺派に所属。同派の西本願寺京都府京都市下京区)によると、男性僧侶は昨年9月16日午前、福井市内の県道を軽乗用車で走行中、交通取締中の警察官から停車を指示された。思い当たる違反はなかったが、青切符に「運転操作に支障のある和服を着用して運転」と書かれ、反則金6千円を納めるよう求められた。

 適用されたのは、県道路交通法施行細則にある「下駄、スリッパその他運転操作に支障を及ぼすおそれのある履物または衣服を着用して車両を運転しないこと」という事項。県警交通指導課によると、男性はくるぶしまでの長さの白衣の上に、両袖の袖丈が約30センチの僧衣「布袍(ふほう)」を着用し▽白衣の裾幅が狭く、両脚の太もも、膝、足元が密着している▽布袍の両袖が下に垂れ下がっている―状態で運転していたとしている。

 運転に支障を及ぼす恐れがあると判断した根拠は「両足が動かしにくく、とっさのときにブレーキ操作を的確にできない恐れがある。垂れ下がった袖がシフトレバーやハンドル周辺の各種レバーに引っかかる恐れがある」と説明。男性が履いていた鼻緒の付いた雪駄(せった)は違反とみなしていない。

 同派は「法令の順守は大切なことであると認識している」とした上で、「僧侶が服装を理由に反則処理をされたことは到底受け入れがたい事案。弊派全体に及ぶ大きな問題で、今後の対応は慎重に検討したい」と話している。

 一方、交通指導課は「僧衣での運転が全て違反になるわけではない」と説明。一般的な話として「たとえ裾がくるぶしまであっても、ゆったりと締め合わせたり、まくしあげるなどして両足を動かしやすくし、たすき掛けをして袖をたくし上げたりすれば、運転操作に支障はないと考える」と回答した。

 県警には「衣服に関する取り締まりの基準を教えてほしい」などと問い合わせる電話やメールが県内外から相次いでいる。また、各地の僧侶が僧衣でバック転や縄跳びなどを披露し、柔軟な動きができることを伝える動画もインターネット上に登場し、話題となっている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190110-00010001-fukui-l18&pos=2

朝日新聞』;

僧衣で運転、交通違反切符 警察一転「違反確認できず」
1/26(土) 15:59配信 朝日新聞デジタル


 僧衣(そうい)を着て車を運転していた僧侶が昨年9月、福井県警に交通違反切符(青切符)を切られた。僧侶は反発し、ツイッターでは僧衣でも自由に動けることをアピールする動画が話題を呼んだが、県警は26日、一転して「違反事実が確認できなかった」として送検しない方針を明らかにした。

 県警によると、福井市内で昨年9月、僧衣姿で軽乗用車を運転する僧侶を警察官が見つけ、停止を求めた。着衣を確認すると、白衣(はくえ)の裾が両足の太ももやひざ、足元に密着し、布袍(ふほう)と呼ばれる上着の両袖が垂れ下がっていた。とっさにブレーキをかけられず、シフトレバーなどに袖が引っかかる恐れがあると判断し、青切符を切ったという。

 しかし、僧侶は反則金6千円の支払いを拒否。僧侶が所属する浄土真宗本願寺派も「僧衣での運転が危ないなんて聞いたことがない。裁判になっても宗派として全面的にバックアップする」と反発していた。

 さらにネット上では、僧衣姿で二重跳びやジャグリングをする動画がツイッターに投稿され、「#僧衣でできるもん」のハッシュタグで拡散した。100万回以上再生された動画もあり、BBCなどの海外メディアでも報道された。

 県警はこれまで、朝日新聞の取材に「和服が一律に違反ではない。着方によって違反になる」と説明していたが、26日に「本日までに切符を切った方を訪れ、改めて県警本部で内容を精査したところ、証拠の確保が不十分で違反事実が確認できなかったため、本件については送致しないこととした旨をお伝えした」とのコメントを明らかにした。

 県警が適用したのは、「運転操作に支障を及ぼすおそれのある履物または衣服を着用して車両を運転しないこと」という福井県道路交通法施行細則の規定。昨年1年間では、ほかにも僧侶1件、着物の女性2件で青切符を切ったという。

 県警によると、衣服に限らず、駐車違反や信号無視で青切符を切られて反則金を払わないと、約1カ月後に通告書と納付書が送られる。さらに反則金を拒み続けると検察庁に送致され、起訴される可能性もある。(南有紀、岡田匠)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190126-00000048-asahi-soci

鵜飼秀徳「"看過できぬ"全国の僧侶が警察に怒るワケ」*1によると、「法衣」に対する規制は都道府県によって区々なのだという。
そして、近代日本における仏僧の「法衣」の歴史について;

現在、市井の僧侶は日常的には、黒衣を簡略化した改良服を身に着けることが多い。改良服の上に、やはり簡略化された袈裟である「輪袈裟」「威儀細」を着用する(詳しくは、プレジデントオンライン2019.1.13『西日本では“遺骨”を火葬場に残すのが常識』)。

 改良服とは、その名の通り、正式の黒衣を「改良」し、着脱や動作をしやすくしたものだ。改良服は日常のお勤めや接客、葬儀会場などへ赴く際の移動着などの略装として、用いられる。

 実は江戸時代までは僧侶は常に正装が求められていた。だが、明治時代になって新政府によって「平服」が許可されることになった。これは、国家神道を推し進める明治政府の、仏教にたいする俗化政策の一貫として捉えることができる。

 『近代の僧服改正・改良・改造論をめぐって』(川口高風著、禅研究所紀要 通号 26)には、「ただ、僧侶は平服の着用といっても全くの俗服になることには抵抗があったようで、法衣が日常生活では不便であったところから、法衣らしく簡易なものが基準となり、平常用の略法衣が創作され始めた」とある。

 また、過去の戦争も法衣のデザインに大きな影響を与えたとされている。日清戦争以降、僧侶が大陸などの戦地に赴き、戦死者の慰霊や布教などを実施していく。中には、僧兵のように武器を取って戦いに参加した僧侶もいた。戦争と仏教との関連性は、今後、本コラムで論じていきたい。

 さらに、明治以降、交通機関が発達していくと、僧侶の移動が増えていく。こうして明治以降、ムラ社会から飛び出して外の世界に活動の場を広げていった僧侶のために、より動きやすい法衣へと「改良」されていったのである。