『ハフィントン・ポスト』(『朝日新聞』)の記事;
『兼高かおる 世界の旅』って、平成(1990年)までやっていたのか。番組の具体的な内容についての記憶はないのだが、小学生の頃から、「兼高かおる」という名前、『世界の旅』という番組は知っていた。海外旅行(海外取材)というと「兼高かおる」という時代だった。というか、まだ活字文化に親しんでいなかった小学生には、小田実とか五木寛之といった名前は知らなかったのだった。また、当時の日本人に、航空会社といえば日本航空(JAL)よりも先ずパンナムというイメージを刷り込んだのも、兼高さんの功績(?)といえるだろうか。そのパンナムという会社が消滅してからかなり経つ。
2019年01月09日 16時28分 JST | 更新 2019年01月09日 16時28分 JST
兼高かおるさん死去 「世界の旅」などで知られる旅行ジャーナリスト
「兼高かおる 世界の旅」は、海外紀行番組の草分けとなりました。朝日新聞社提供
旅行ジャーナリスト兼高かおるさん死去 「世界の旅」
海外紀行番組の草分けとなった「兼高(かねたか)かおる 世界の旅」などで知られる旅行ジャーナリストの兼高かおる(かねたか・かおる、本名兼高ローズ)さんが5日、心不全で死去した。90歳だった。葬儀は密葬で行った。
神戸市生まれ。米ロサンゼルス市立大学に留学後、英字紙のフリー記者に。1958年、飛行機を乗り継いで当時の世界一周最短となる73時間9分35秒の記録を打ち立てて注目を集める。59年、TBS系で「兼高(かねたか)かおる 世界の旅」(当初の番組名は「兼高かおる世界飛び歩き」)が始まった。
日本で海外渡航が自由化されたのは64年。まだ海外旅行が一般的でなかった時代に、外国の文化や生活を現地取材の映像で広く紹介したのが人気を博し、90年まで31年続く長寿番組に。1586回の放送で150カ国超を訪れ、地球180周分の旅をした。南極、北極の両極点も訪れたほか、米ケネディ大統領やスペインの画家ダリら著名人も取材した。
旅にまつわる多くの著書を残し、日本旅行作家協会の名誉会長も務めていた。菊池寛賞、紫綬褒章のほか、海外でも受賞多数。
(朝日新聞デジタル 2019年01月09日 15時58分)
https://www.huffingtonpost.jp/2019/01/09/kanetaka-kaoru_a_23637838/