Not Inagawa

少し時間が経ってしまったが。
スポーツニッポン』の記事;


藤村俊二さん死去 82歳「おヒョイさん」の愛称、軽妙な味で人気



 「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優の藤村俊二さんが1月25日、心不全のため死去した。82歳。神奈川県鎌倉市出身。体調不良のため、2015年10月で日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを降りてから療養生活を送っていた。

 軽妙な味で多くのファンに愛された「おヒョイさん」が静かに逝った。11年10月から担当し、好評を博した「ぶらり…」を降板する際、長男で所属事務所の代表を務める亜実さんは「どこかが悪いというわけではないが、“思うように仕事が出来ないまま、皆さまの前に姿を見せたくない”と言っている」と説明。原因不明の体調不良で、一昨年10月末から入退院を繰り返していた。

 実父は東京・有楽町の映画館スバル座やオリオン座などを持っていたスバル興業の社長だった。藤村さんは小学校から高校まで暁星学園で学び、演出家を目指して早稲田大学第1文学部演劇学科に入学したものの中退。東宝芸能学校舞踊科に入り直した。

 日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧したが、あまりのレベルの高さに自らの限界を痛感して舞踊家の道を断念。帰国して振付師に転向した。ザ・ドリフターズの大人気番組「8時だョ!全員集合」では民謡「北海盆唄」をアレンジしたオープニング「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」を振り付けた。同番組ではエキストラとしての出演も求められたが、これが嫌で「ひょい」と逃げたことから「おヒョイ」のあだ名がついた。

 軽妙でとぼけた味が人気で、フジテレビ「なるほどザ・ワールド」、日本テレビ「ゲバゲバ90分」、TBS「ぴったしカン・カン」など、バラエティーやクイズ番組に引っ張りだこ。映画「青春喜劇・ハレンチ学園」(70年)、「喜劇・猪突猛進せよ!!」(71年)や三谷幸喜脚本の「王様のレストラン」(95年)、「古畑任三郎」(96年)などのドラマでも評判を呼んだ。声優やナレーターとしても才能を存分に発揮した。

[ 2017年2月1日 15:03]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/02/01/kiji/20170201s00041000191000c.html

朝日新聞』;

「オヒョイさん」藤村俊二さん死去 芸能界から悼む声

2017年2月1日22時36分


 「オヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優の藤村俊二(ふじむら・しゅんじ)さんが、1月25日午後8時45分、心不全のため入院先の病院で死去した。82歳だった。葬儀は近親者で行ったが、「献花の会」を2月14日正午から、東京都渋谷区神宮前6の25の12の慈雲山長泉寺で開く。喪主は長男亜実さん。

 神奈川県鎌倉市生まれ。早大中退後、東宝芸能学校1期生となり、60年に日劇ダンシングチームの一員として公演のため渡欧。英国の踊りのレベルの高さに衝撃を受けて舞踊家の道を断念し、パリでパントマイムを学んで帰国後は振付師に転向した。

 ザ・ドリフターズの人気番組「8時だョ!全員集合」や、レナウンのCM「イエイエ」などの振り付けを担当。俳優としても軽妙でとぼけた味の演技が人気で、バラエティーやクイズ番組に多数出演したほか、テレビドラマ「王様のレストラン」や映画「ラヂオの時間」など、三谷幸喜作品の常連俳優としても活躍した。

 15年12月に体調不良のため「ぶらり途中下車の旅」(日本テレビ系)のナレーションを降板。療養生活を送っていた。

 ◆タレントのうつみ宮土理さんのコメント

 オヒョイさんの訃報(ふほう)を知り、寂しく辛い気持ちで一杯です。

 オヒョイさんとキンキン(夫の故・愛川欽也さん)は本当に仲良しでした。

 ワインが好きでワインバーまでオープンしたオヒョイさんのお店にお酒の飲めないキンキンがうれしそうに通っていた姿が思い出されます。

 テレビのお仕事で、ロサンゼルスのロデオドライブをオヒョイさんと行った思い出や「UFOを探そう」と、二子玉川までドライブした思い出、「ゲバゲバ90分」で深夜までダンスの振り付けに頑張ったことなど…。

 本当に私にとっては「お兄さん」と呼べるひとでした。

 オヒョイさん、天国でキンキンと仲良くしてね。

 ◆俳優の中村メイコさんのコメント

 あの人らしく、絶対知らせないで。静かに…今にも亡くなるだろうというのは心にあったんですけど。

 とてもジェントルマンでした。

 日本人には珍しい感じの人だったんじゃないかなと思います。ベストドレッサーで、おしゃれで。女に弱くて。しょっちゅう恋人変わって。飲んだり遊んだりする時には、嫌味(いやみ)のない、素敵(すてき)な男の子でした。

 最初の大病をした時には、「僕の中はがらんどうだ」って。気持ち悪いこと言わないで、と言うと「いつ死んでもおかしくないんだ」って言っていましたね。絶対公にしないで、静かにいなくなってしまうんだろうとは思っていましたが。

 心より御冥福をお祈りします。

 ◆長男で所属事務所社長の藤村亜実さん(50)の言葉 子どもの頃、家に帰ってくると、家の雰囲気が明るく変わるような人だった。僕自身、子どもの頃からどうやったらあんなに自由に楽しく好きなことをして、しかも優しく生きられるのかわからなかった。病室では苦しいはずなのに、表情にも出さなかった。きっと、苦痛とか不安にとらわれずに生きられる人だったんだと思う。

 特に面白いことを言うわけでもないのに、多くの人が集まったのは、欲や執着がなくて、周りにいて気持ちいいからではないか。
http://www.asahi.com/articles/ASK215CY9K21UCVL02M.html

稲川淳二*1と時々混同してしまうことがあったのだった。まあ、藤村俊二*2稲川淳二を混同する人というのはそう多くはないだろうけど。それはともかくとして、大橋巨泉にからかわれるキャラという印象が強かったのだが、その印象の出所はやはり『ゲバゲバ90分*3だっただろうか。