ネット絡みといえば

「今年は、はてな村殺人事件の年だった」https://nessko.hatenadiary.jp/entry/2018/12/30/163102


勿論、2018年には大きな事件にせよ小さな事件にせよ、様々な事件が起こったわけだけど、インターネット絡みの事件というと、「低能先生」によるHagex殺し*1はやはり忘れるわけにはいかない。
さて、


フロイド「低能先生とその予備軍が存在するとすれば、未来への希望のなさ故だ」https://www.byosoku100.com/entry/2018/06/26/125029


所謂ロスジェネとしての「低能先生」。フロイド氏は「低能先生」が「40代無職」であることに止目する。「はてブ界隈が危惧している氷河期などの人生の成り行きに恵まれない世代」。


彼らの世代の唯一の救いは親である世代がそれなりに金持っている団塊だったり、日本の成長期に生きて、終身雇用が崩壊していなかったため生活保証が多少あるということ。つまり大なり小なり親のすねをかじって生きてこれた、ということにある。

ところが、20-30代ならまだしも、40代になると親も60後半から70代、早ければ鬼籍に入ってもおかしくない。親が死んでも年金を不正受給し続ける人が時折報道されるように、親の年金が生命線というニート無職が多いかと思う。両親がいれば2人の年金で面倒を見てもらえるが、1人減れば生活水準も変わる。2人とも亡くなれば果たして。

親の命も永遠ではない。そろそろ生活できなくなるという現実が好むと好まざるとにかかわらず眼の前に現れる頃合いだ。そういう高齢無職達の心境はいかばかりか。


夢中になれるのがネットでの罵倒。他に目的もなく、子供もおらず、仕事もなく、人付き合いもできない。無職で人付き合いをするというのは、結構心に重いものがあるはずだ。リーマンショックで一時的に仕事を失った事がある僕はそれがわかる。いい大人が働きもしていなければ誰に合わせる顔もないと思ってしまうものだ。

だからといって殺人かよ、と思うかもしれないが彼の孤独で貧しい人生がそういう方向に流れて行ったということだと思う。

どこかで何か趣味だとか守るものだとか、自由に誰にも文句を言われず使える金だとか、気兼ねのいらない友人がいれば人は極端には走れれない。


今後年金や退職金で面倒を見ていた親がセーフティになっている無職達が次々と現実に放り出される。そこで何かのきっかけで彼らのターゲットになるということは増えるように思う。大抵は人間だから殺人までは行かなくても、定期的に自暴自棄な人たちの憎悪がどこかへ向かうだろう。生活保護も厳しくなっているし、そもそも福祉の財源がない。金もなく守るものない無敵の人の中から、何らかの被害を与えよう、幸せそうなやつにぶつけてやろうという人々は無数に出てくると思っている。全体から見れば少数でも、体感的に多いぐらいには。

殺人でなくても、現実での罵倒、SNSでの粘着、子供への暴力やストーカーなど彼の鬱屈は表面化していくと思っている。hagex氏が殺されたのはたまたまだ。彼が狙われる可能性は完全匿名の人よりも高かったにせよ、彼でなくても良かったのではないか。

条件が不運にも重なってしまった。その結果の死だと思っている。

だが未来への希望がないということは、その鬱屈がどこかへ向かうということだと僕は考える。自分に向かう人は自殺をし、他人に向かう人は被害を与えるのだろう。

このフロイド氏は、


2ちゃんねる 2.0としてのはてな村https://www.byosoku100.com/entry/2018/06/26/150202


というエントリーも書いている。そもそも「はてな」に「村」としての(神話や儀礼を含んだ)共通文化があるかどうかも怪しいのだけど、ここでいう「はてな村」とは「はてブ」という小字のことであるようだ。