否定がビルトインされて

承前*1

ハフポスト日本版編集部「星野源が演じる“おげんさん“が紅白に苦言?「性別関係なく、混合チームでいけばいいと思う」」https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/31/hoshinogen-ogensan_a_23630496/


曰く、


歌手で俳優の星野源*2が12月31日放送のNHK紅白歌合戦に出演し、「これからの紅白は紅組も白組も性別関係なく混合チームでいけばいいと思う」などと述べた。

星野はNHKの音楽トーク番組『おげんさんといっしょ』のスタジオを使った企画コーナーで「おげんさん」として登場した。

宮野真守さんが声を充てている「おげんさんちのねずみ」から、「おげんさんて、白組と紅組、どっちなの?」と聞かれると、「どっちなんだろう。おげんさんは男でも女でもないから...」などとコメント。「思ったのは、紅白もこれからね、紅組も白組も性別関係なく、混合チームでいけばいいと思う」などと述べた。

星野はさらに『おげんさんといっしょ』で共演する高畑充希が演じる"お父さん"にも話を向け、「そしたらおげんさんも出れるし、お父さんも出れる」と続けた。

ところで、「紅白」の枠を超越したサザンオールスターズもそうなのだけど、「紅白」に「紅白」の自己否定(自己批判)がビルトインされているとき、(正論なんだけど徹底的に退屈な)凡庸な批判者の居場所というのはどうなるのだろうか。例えば、


森岡孝二「紅白は日本社会に立ちはだかる壁のような存在です」紅白は日本社会に立ちはだかる壁のような存在です」http://hatarakikata.net/modules/morioka/details.php?bid=293


とか*3