「私が彼だったかもしれない」

低能先生*1九州大学だった筈。呪われているのかと思ったけれど、この事件の意味は福岡ローカルで済む話ではない。
西日本新聞』の記事;


九大箱崎キャンパスで火災、1遺体発見 卒業生の男性か

2018年9月7日 12時57分 西日本新聞


 7日午前6時40分ごろ、福岡市東区箱崎6丁目の九州大箱崎キャンパスで「爆発音がして炎が出ている」と大学の男性用務員から119番があった。3階建て校舎の1階を焼き、約3時間後に鎮火した。福岡東署などによると、建物は大学院法学府が入る「法文経教育学部本館」で、火元付近の研究室から年齢、性別不明の遺体が見つかった。県警は研究室に出入りしていた法学部卒業の40代男性の可能性があるとみて調べている。

 九州大によると、夏休み中で授業は行われていなかった。大学院は9月末で同市西区の伊都キャンパスへの移転を完了する予定で、部屋には引っ越しの荷物が一部残されていたという。

=2018/09/07付 西日本新聞夕刊=
http://news.livedoor.com/article/detail/15271527/


退学者 火元の部屋使用 大学、ずさん管理謝罪

2018年9月8日 6時0分 西日本新聞


 火災を受けて九州大は7日夜、箱崎キャンパスで記者会見を開き、出火元の院生室を誰が使っていたのか、今春まで把握していなかったことを明らかにした。大学院法学研究院の江口厚仁副研究院長は「建物の管理がずさんになっていた」と謝罪した。

 九大によると、院生室は大学院法学府の自治会が管理している。問題の部屋に出入りする人物の存在を九大が把握したのは今年5月。伊都キャンパスへの移転が迫る中、自治会から「引っ越しに協力してくれない人がいる」と相談があったという。

 その人物は同大法学部を卒業後、1998年4月に大学院に進学した男性。2010年3月に博士課程を退学した後も継続して使っていたとみられる。自治会は「院生室の使用資格を持った研究員」と誤解していたという。

 九大は8月上旬、日中は不在の男性に退去を求める要請書を掲示。男性から自治会を通じて「お盆明けに退去する」と意思表示があったが、室内の備品が撤去されないため、7日に強制撤去する予定だったという。

九大箱崎で火災 1遺体

=2018/09/08付 西日本新聞朝刊=
http://news.livedoor.com/article/detail/15274872/


「九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署」http://news.livedoor.com/article/detail/15312777/


曰く、


福岡市東区九州大学箱崎キャンパスの火災で亡くなった卒業生の男性(46)は、2010年の退学後も常勤の研究職を目指していたが、非常勤職を“雇い止め”に遭うなどして困窮を深めた。家賃の支払いも滞り、肉体労働を掛け持ちして研究室で寝泊まりするようになった。そこに学舎の移転が重なる。「耐乏生活を強いられる」「経済破綻に直面」-。男性は親交のあった大学関係者に宛てたメールで、苦しい胸の内を訴えていた。

 複数の関係者によると、男性は15歳で自衛官になったが退官し、九大法学部に入学。憲法を専攻し、1998年に大学院に進学した。修士課程を修了して博士課程に進んだが、博士論文を提出しないまま2010年に退学となった。


 「院生はみな厳しい現実を共有していた。私が彼だったかもしれない」。男性をよく知る研究者は声を落とす。

 男性と長年交流のあった元九大教授の木佐茂男弁護士は、男性の心中をこう推し量る。「彼は純粋に研究する場が欲しかったはず。労働と研究の両立が困難で、思いあまったのかもしれない。(学舎と)一緒に灰になってもいいと思っていたのではないか」
この方のことは他人事だとは全く思えない。