「火葬」の登場

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川村邦光『弔いの文化史』*1から。
仏教伝来に伴う「火葬」*2の登場は日本人の死をどう変容させたか。「肉体の焼却と白骨化という仏教的な葬法の火葬は、モガリ儀礼を否定、もしくは無化していく契機となるのである」(p.76)。


火葬は詩の確認を早めたばかりでなく、肉の焼却によって、決定的な死を刻印したのだ。火葬は霊魂の身体からの分離を早めて決定的にし、成仏した証として、白骨化するところに、大きな意義を見出されたと考えられる。モガリでのタマフリはもはや無用のものとされることになる。そして、死霊が邪霊とならないようにするタマシズメの作法が求められることになる。まさしく弔いの作法の革新という事態が、火葬によって引き起こされたのである。(p.78)

火葬と仏教的儀礼・思想の導入を通じて、モガリ風俗が衰退し、そしてタマフリ・タマシズメは仏教的な儀礼・行事へと再編されていくことになる。かつてのモガリ習俗のタマヨバイ(魂呼ばい)は残っていくが形骸化し、その期間は次第に短縮され、やがて通夜として定着していく。火葬されたなら、タマフリはもはや無効・無用となり、より善き来世への転生、浄土への往生を願う追善の供養・回向を通じて菩提が弔われ、新たな生を迎える。それは来世で新たな霊魂へと転生・変容させる、いわば仏教的なタマフリとみなすことができる。
そして、火葬は何よりも肉体を直ちに白骨化することによって、生死の境界的な状態、また「穢き死人」の状態を短くし、死の穢れを祓い、霊魂を浄化し、とりあえず死霊(新精霊・新仏)の邪霊化を避けることができるようになる。火葬、それに追善供養はモガリ儀礼のタマフリとタマシズメを無用なものとして、その代替となる浄霊・転生儀礼、いわば仏教的なタマフリ・タマシズメとして受容されていった、と一応言うことができる。(後略)(pp.80-81)