桂歌丸

毎日新聞』の記事;


訃報
桂歌丸さん81歳=落語家、笑点で人気
毎日新聞2018年7月2日 16時17分(最終更新 7月2日 23時21分)


 人気演芸番組「笑点」で長く親しまれた落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸(かつら・うたまる、本名・椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、死去した。81歳。

1951年、15歳で五代目古今亭今輔に入門し前座名今児(いまじ)を名乗った。2年半ほど落語界から遠ざかったが、61年兄弟子の桂米丸門下に移り米坊として出直し。64年歌丸と改名し、68年に真打ち昇進した。

 66年に始まった日曜夕方放送の「笑点」では、一時降板したが、当初からのレギュラーメンバー三遊亭小円遊さん(80年死去)や三遊亭楽太郎(現六代目円楽)さんとの掛け合いが、茶の間の人気を呼んだ。2006年には五代目円楽さん(09年死去)に代わって5代目の司会者を16年まで務め、高視聴率番組の安定した人気をけん引した。

 生家は横浜の妓楼(ぎろう)。地元愛は有名で、74年からは地元にある三吉演芸場で独演会を開いてきた。芸や噺(はなし)の継承にも力を入れ、「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」「怪談乳房榎(ちぶさえのき)」といった三遊亭円朝の長編の続き物を数多く手がけた。

 04年に落語芸術協会会長、10年からは横浜にぎわい座館長も務め、後継の育成や落語界発展に尽くした。

 芸術選奨文部科学大臣賞、文化庁芸術祭賞など受賞多数。07年旭日小綬章。16年文部科学大臣表彰。

 著書に「座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生」など。

 近年は誤えん性肺炎などで体調を崩し、入退院を繰り返していたが、今年4月の国立演芸場では隔日でトリをつとめ、長講の「小間物屋政談」を熱演していた。
https://mainichi.jp/articles/20180702/k00/00e/040/274000c

怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

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『日刊スポーツ』の記事;

桂歌丸さん、慢性閉塞性肺疾患で死去 81歳
[2018年7月2日17時15分]


 日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバー、司会者で知られた落語芸術協会会長の桂歌丸(かつら・うたまる)さん(本名椎名巌=しいな・いわお)が2日午前11時43分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、横浜市内の病院で死去した。81歳だった。

 歌丸さんは15年12月14日に息苦しさを訴え体調を崩したため、検査したところ「このままでは肺炎になる」と診断され、入院した。当初は1週間ほどで退院し、元日の東京・新宿末広亭での正月初席で高座復帰する予定だった。歌丸さんは持病の肺気腫を患っており、8年前にも肺炎で入院したことがある。

 近年は入退院を繰り返していた。08年に腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症を手術、14年に閉塞(へいそく)性肺疾患と肋骨(ろっこつ)骨折、15年にはインフルエンザと腸閉塞を患った。16年7月にも腸閉塞(へいそく)で約2週間入院した。

 しかし、高座への意欲が衰えたことはなかった。入院中に東京・新橋演舞場で行われた芸歴65周年記念落語会では、十八番「竹の水仙」を50分にわたって熱演した。また、国立演芸場の16年8月中席で復帰後、同14日の80歳の誕生日には、高座の上で誕生日を祝福され「80歳を折り返し地点として、まっすぐに自分の落語道を進んでいきたい。来年も(三遊亭)円朝ものに挑戦したい」と意欲を語った。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807020000561.html

See also
「落語家の桂歌丸さん死去 81歳 「笑点」の司会役」https://www.asahi.com/articles/ASL725K4ML72UCLV00W.html


昔、歌丸といえば小円遊だったけれど、寧ろ驚くのは(歌丸師匠と同い年の)小円遊の若死の方。ところで、伊集院光が落語家だっということは知らなかったのだった(汗)*1

*1:伊集院光「ある程度覚悟はできていた」歌丸さん偲ぶ」https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807030000336.html