嘉島唯*1「死を垣間見た時、人は何を思うのか? 坂本龍一の答え」https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/ryuichi-sakamoto-life-life
「死を垣間見た時」、坂本龍一は「食べ物」を思った。
「がんです」医師からこう言われたら、どう思うだろうか? 自分ではなく、例えば親やパートナー、すごく大事な人のことだとしても。
あんなことしたかった、こんなことしたかった。閉ざされる未来に絶望するかもしれない。運命を呪うかもしれない。
インタビューしたこの人は、病床で食べ物のことばかり考えていたという。
贔屓のレストランに「カツカレーの写真を送ってほしい」と頼み、スマートフォンの待ち受けにしていたくらいだ。「死に近づいているのだから、もっと深刻にいろいろ考察を深めればいいのに」。状況を客観視して、そんな風に思ったと振り返る。
2014年に中咽頭がんになった坂本は、治療に専念するため休養を宣言した。
安心したと言ったものの、喉の治療は想像を絶するものだった。「こんなに痛いならもう治療をやめて欲しい」と口走ったほどだ。唾すら飲み込めない。体重は10キロ以上も落ちた。そんな中、坂本の頭にあったのは、食べ物のことだった。「治療が終わったら何食べよう」。カツカレー、オムライス、納豆ご飯......。携帯の待ち受け画面にしたカツカレーを見ては「これが食べられるように頑張ろう」と思った。
「無知」と「喜び」を巡って;
そこで気がつく。「音楽ができるってことは余裕があること」なのだと。坂本がそう思ったのは、これが初めてではない。2001年9月11日の同時多発テロは、ニューヨークにある自宅の近所で起きた。
「9.11から暫くした時に誰かが公園でギター弾いているのを聴いて、『この1週間音楽を聴いていなかった』と。そのことすらも忘れていた」
音楽は食事や空気のように「ないと生きていけない」ものではない。音楽を生業としてきた坂本は、そのことを知っている。自嘲気味に笑いながら、こう話す。
「過度に期待をされると困るんですよね。音楽は世界を救うみたいなね。救うまでいかなくても癒やすとかね。本当にもう困っちゃうんですよね」
世界的な音楽家である彼のもとには沢山の賛辞が送られてきた。それでも坂本は「音楽は余裕の証、世界も救わない」と言う。
2012年に宮城県で出会った「津波に飲まれ、破壊されたピアノ」、「ピアノの屍骸」の話しから「生老病死」の話へ。「ピアノが弾けなくなる」日;
「僕は絶対に不満なんです。何を聴いても。大好きなドビュッシーを聴こうが、バッハを聴こうが......満足できない。自分で作っても満足できない。常に不満だから、何か作ろうとする。満足しちゃったら先はないです」坂本の根源にあるのは「新しい音」への渇望だ。それを探して、北極や森林、自宅......さまざまな場所の「音」を録音し、集めてきた。では、自分の中から「新しい音」が出てきたら?
「そういうときは興奮しますけどね。18歳くらいの時から、ピアノ......西洋の楽器でできることはやりつくされていると思っているから、『まだあった!』というのは、本当に驚きです。でも、その頻度はどんどん低くなってきている」
すでに先人がやりつくしている。18歳の坂本少年は、それを悟っていた。メロディを奏でる音楽は作曲家たちが作りきった。内部の弦を弾くような実験的な演奏はジョン・ケージら現代音楽家たちにやりつくされた。ピアノに新しさはなかった。
「無知は喜びじゃないですか。幸せだなって。たくさんいろんなことを知ってしまうと、喜びは少なくなりますから......でも、無知に基づいた喜びっていうのは果たして本当の喜びでしょうか?」
そう問いかける坂本は、知ることの喜びを求め続ける。知っても知っても、すべてを知りつくすことはないのだから。
『レヴェナント:蘇えりし者』の制作でも、初めて知るものがあった。それは、「挫折」だ。
ピアノが弾けなくなる瞬間も、いつかは迎える。死の過程に恐怖を覚えることはないのだろうか?「怖い。実際、指は......動かなくなってますよ。ピアノもどんどん下手になってきている」
ゆっくりと考えながら、それでもふわりとした答えを見つける。
「......でも、曲想が変わってきている。指が動かなくても成立する音楽になっているかもしれません。きっと、どんどん音が少なくなって、最後に1音になって消えていく......みたいな」
坂本が音楽を作り続けてしまうのは、自分の「新しさ」を発見できる喜びを知っているからだ。失うことだけがそこにあるのではない。
残される者は、その姿を見る時に胸を痛めずにはいられない。でも、死に向かう階段を降りるときですら、発見があり、喜びがある。坂本は、静かに笑みを浮かべて言う。
「このプロセスを楽しんでいる......のかもしれないですね」
軽やかに飛び出した「楽しむ」という言葉に、すがるように質問してきた私も、思わず笑ってしまった。もしかすると、20年間ずっと探してきた言葉だったのかもしれない。