『ピサへの道』或いは語り/騙り

ピサへの道 七つのゴシック物語1 (白水Uブックス 海外小説 永遠の本棚)

ピサへの道 七つのゴシック物語1 (白水Uブックス 海外小説 永遠の本棚)

イサク・ディネセン『ピサへの道 七つのゴシック物語1』(横山貞子訳)*1を数日前に読了。


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ピサへの道


解説

実は、『七つのゴシック物語』の後半部、『夢見る人びと』は晶文社版で10年近く前に読んでいた*2
夢みる人びと―七つのゴシック物語 1 (ディネーセン・コレクション 2)

夢みる人びと―七つのゴシック物語 1 (ディネーセン・コレクション 2)

さて、19世紀のヨーロッパを舞台としたこれら7つの物語に共通する主題は語りそして或いは騙りということになるだろう。とにかく、登場人物たちはとにかく(作者を差し置いて?)自らの身の上その他の物語を語る。自ら語らなければ自らの存在が危ういかのように。或いは、作者は登場人物たちの錯綜する語りをそのまま追認するすることしかできないかのよう。しかし、登場人物たちは読者とともに他の登場人物たちを欺く。或いは、騙される。
「ピサへの道」において主人公の「アウグストス・フォン・シメルマン伯爵」が「老貴婦人」と出会う場面;

そのとき背後でひどいもの音がして、アウグストスお思いは中断された。ふりかえったとたん、落日の光をまともに浴びて眼がくらみ、しばらくはあたり一面が金と銀の光線の交錯で満たされていた。土煙の中を大型馬車がこちらに向かって疾走してくる。馬たちは統制をなくした激しいギャロップで駆け、馬車は道いっぱい、左右に振りまわされている。見ているうちに二つの人影が馬車から振りおとされた。座席から道路に転落したのは御者と従僕らしい。一瞬アウグストスは馬の前に躍り出て暴走を止めようかと考えた。だがすこし手前で馬車のどこかがこわれたらしい。まず一頭が、続いてもう一頭の馬が馬車から自由になり、ギャロップのままアウグストスのわきを駆け去っていった。馬車は道ばたに放り出されて静止した。後輪が片方はずれている。アウグストスはすぐさま駆け寄った。
路上に転覆して壊れた馬車の座席には、品のよい顔つきで高い鼻の、頭の禿げあがった老紳士が横たわっている。救い手にしっかり眼をそそいだが、蒼ざめきった顔色の上、身じろぎひとつしないので、もう息が絶えてしまっているのかと思ったほどだ。アウグストスは声をかけてみた。「御老体、どうかお手助けをさせて下さい。大変な事故にお遭いになりましたね。お怪我がひどくないとよろしいのですが。」老紳士はさっきとおなじ、当惑をこめた眼で見返した。
向かいの席にはがっしりした体つきの若い婦人が、クッションや荷物の中で四つ這いになっている。われに返ったのか、いきなり高い声で悲鳴をあげはじめた。老紳士はその連れの婦人に眼を向けて言った。「私の帽子を。」その命令口調から、悲鳴をあげた若い女は侍女だと察しがついた。次女はしばらく身をもがいたあげく、やっとのことで駝鳥の羽根飾りのついた大きなボネットを取りあげて、主人の禿げ頭にかぶせると、しっかり紐を結んだ。ボネットの内側には豊かな銀色の巻き毛が取りつけてある。老人はまたたくまに、威厳のある立派な老貴婦人に変身してのけた。ボネットをかぶれたのでほっとしたらしく、アウグストスに感謝をこめた優しいほほえみを見せさえした。(pp.246-247)
少女「アニェーゼ・デラ・ケラルデッシ」はアウグストスや読者に対して最初「少年」として現れる(p.264)。しかし、

少年はアウグストスのほうに向きなおった。「まさか私を男と思っておられるのではないでしょうね? 男ではありません。失礼ですけれど、男でなくてよかったと思っております。男のかたたちが偉大な仕事をなしとげてこられたことはよくわきまえておりますけれど、それでもやはり、男のかたたちはいつも踏みこんできては女の大切にしているものを打ちこわすことを申さずにはおれません。それさえなければ世の中はもっと平和になりますのに。」(p.268)
まあそもそも作者もIsak Dinessenとして男装した女性だったのだ。