「神」と「持続」

ピサへの道 七つのゴシック物語1 (白水Uブックス 海外小説 永遠の本棚)

ピサへの道 七つのゴシック物語1 (白水Uブックス 海外小説 永遠の本棚)

イサク・ディネセン「猿」(in 『ピサへの道 七つのゴシック物語1』)*1から。
ボリスの思索;


神と人とがまったく異なる点というのは、神は持続に耐えられないことにある。一年の中のある季節、または一日のうちのある時を創造するやいなや、神はなにかまったくちがうものを望まれ、いま創りだしたものをぬぐい去られる。誰かが若者となり、そのことに満足するとたん、ことの自然の成りゆきがおそいかかってきて、結婚、苦難の境涯、あるいは老残へと押しやる。ところが人間というものは現状にしがみつきたがる。生あるあいだ中、人間は瞬間をしっかり握りしめようと苦闘し、あらがいがたい力に反抗を試みる。人間がつくりだす芸術なるものは、ある特殊な瞬間、ある気分、ある特定の光、一人の女あるいは一つの花に宿る一瞬の美しさを、全力をあげてとらえ、それを永遠にとどめる試み以外のなにものでもない。天国を不変の恵みあめねき常態として思い描くのはまったくのまちがいだ、とボリスは考えた。おそらくその逆だろう。実際の天国は、神のまことの精神にふさわしく、絶えまのない有為転変、変化の渦であるのは相違ない。天国に至ってはじめて人間は神と合一し、変化を愛するようになるのであろう。ボリスは深い悲哀をもって、さまざまな時代の若者たちの完璧な美と勇気をそなえた姿を思いえがいた。ナイル河沿いに戦車を駆る若きファラオたちの彫りの深い顔、緑濃い柳の木かげで読書にふける、絹の服をまとった中国の若き賢者たち――誰も彼もが心ならずも変わってゆき、社会で責任のある仕事をしたり、結婚した子供たちから義父と呼ばれたり、食物や道徳の権威になり果てる。なんとも情けないことだ。(p.179)