誰が中国へ行ったか問題

仲田しんじ「マルコ・ポーロは実在していなかった!? 不整合すぎる『東方見聞録』の数々が暴露される」http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201611_post_11467.html


マルコ・ポーロについての議論。特にフランシス・ウッド(Frances Wood)さんなどの〈マルコ・ポーロは中国へ行っていなかった〉論の紹介。「マルコ・ポーロは実在していなかった 」は(多分)仲田さんの意見。TOCANAにしてはまともな記事で、その分、新鮮味に欠けるということはある。
さて、フランシス・ウッドさんの著書『マルコ・ポーロは中国へ行ったか』は読んでいないけど、彼女のThe Lure of China: Writers from Marco Polo to J. G. Ballardの第2章でマルコ・ポーロを採り上げており、やはり『東方見聞録』の記述のおかしさを指摘している。お茶が出てこない、橋が出てこない等々*1。また、ジョナサン・スペンス先生のThe Chan's Great Continent: China in Western Mindsの第1章でもマルコ・ポーロが採り上げられ、やはりお茶が出てこないことには注目されている。但し、スペンス先生はマルコ・ポーロが中国へ行ったかどうかは論じていない*2

The Lure of China: Writers from Marco Polo to J. G. Ballard

The Lure of China: Writers from Marco Polo to J. G. Ballard

The Chan's Great Continent: China in Western Minds (Allen Lane History S.)

The Chan's Great Continent: China in Western Minds (Allen Lane History S.)

仲田氏のテクストに戻る。
マルコ・ポーロの話を『東方見聞録』に纏め上げた著者のルスティケロ・ダ・ピサについて;

とはいえ実はピサ氏は決して伝記作家などではなく、娯楽読み物を数多く書いていたフィクション作家であったのだ。また1298年に最初に出版された『東方見聞録』は非常にページ数が少ない薄い書籍であったが、版を重ねるたびにピサ氏が書き加えてボリュームが増え、次第に読み応えのある“読み物”になっていった経緯があるという。このようなことを考えあわせてみると、そもそもジェノヴァに収監されていた“マルコ・ポーロ”なる人物その人が、ひょっとすると冒険物語の主人公というフィクションなのではないかという疑惑も持ち上がってくることになるのだ。
先ず突っ込んでおくと、「ピサ」というのは姓ではない。出身地だよ。英語の文献ではRustochello of PIsaと表記されることが多い筈。(あの斜塔で有名な)ピサ生まれのルスティケロさん。ピサも(ヴェネツィアと同様に)ジェノヴァと敵対しており、ジェノヴァの捕虜になって、監獄でヴェネツィア人捕虜であるマルコ・ポーロとつるむようになったとされる。
マルコ・ポーロは中国へ行っていなかった〉論にしても、〈マルコ・ポーロは実在しなかった〉論にしても、議論はそれで終わりというわけにはいかないだろう。もしそうだとしても、今度は誰が中国へ行ったかが問題になる筈だ。実際に中国(元)に行った人間による情報を直接的或いは間接的に使わない限り、『東方見聞録』は書けなかっただろう。因みに、現在中世ヨーロッパ人による『東方見聞録』以前の中国についての記述は見つかっていない。
何故、このマルコ・ポーロについての記事に注目したかというと、ちょうど最近マルコ・ポーロの伝記を読み始めたからだ。Laurence Bergreen*3 Marco Polo: From Venice to Xanadu.

For Venetians, the world was startlingly modern in another way: it was “flat,” that is to say, globally connected across boundaries and borders, both natural and artificial. They saw the world as a network of endlessly changing trade routes and opportunities extending over land and sea. By ship or caravan, Venetian merchants traveled to the four corners of the world in search of valuable spices, gems, and fabrics. Through their enterprise, minerals, salt, wax, drugs, figs, pomegranates, fabrics(especially silk), hides, weapons, ivory, wool, ostrich and parrot feathers, pearls, iron, copper, gold dust, gold bars, silver bars, and Asian slaves all poured into Venice via complex trade routes from Africa, the Middle East, and Western Europe. (p.15)
また、「ポーロ家はヴェネツィアから亜細亜へ旅した最初の商人ではない」とも書かれている(ibid.)。何が言いたいのかといえば、「マルコ・ポーロ」が本当に中国に行ったかどうかは別にして、ヴェネツィア人の誰かさんが中国に行ったというのはありうる(ありそうな)話だったのではないか。同時代的にも、ヴェネツィア人の話というだけで信憑性が増した。
ところで、当時のヨーロッパで「フビライ」というのは”a half-real, half-legendary figure”だった(p.7)。つまり、現代人にとってのオサマ・ビンラディン金正恩以上に神秘的な存在だったわけだ。
Marco Polo: From Venice to Xanadu (Vintage)

Marco Polo: From Venice to Xanadu (Vintage)