「安心して「死にたい」と言える場所」

承前*1

「座間9遺体事件」を契機に、菅義偉官房長官SNS規制の検討を示唆している;


時事通信「政府、ツイッター規制検討=座間9遺体事件で年内に再発防止策」https://www.jiji.com/jc/article?k=2017111000187&g=soc
泉谷由梨子「座間9遺体事件で「Twitter規制検討」 ネットには反発の声」http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/10/zamashi9_a_23272808/


さて、


石戸諭*2「もしSNSで「死にたい」を見つけたら…精神科医が語る、みんなにできること」https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/toshihiko-matsumoto


一瞬、「座間市」を「座頭市」と勘違いしてしまった。それはともかくとして、「自殺対策」の専門家である精神科医の松本俊彦氏*3へのインタヴュー。少し抜粋;


《「死にたい」という人は死なない、という俗説がありますが、これは間違いです。死にたい、と言った人は自殺するリスクが高い人です。

調査をすると、だいたい自殺してしまう半年〜3ヶ月前に「死にたい」と言っていることが多いんですね。SNSに「死にたい」と書き込むことは、サインを発しているということです。

どんなサインか。

自殺をしたい人にとっての「死にたい」は、死にたいくらい辛いことが人生で起きているということなんです。

自殺する人は直前まで迷っていることが多い。多くの人は覚悟を決めて、すぐに自殺なんてしないんです。

例えば、最後まで携帯電話を持って橋の上をうろうろしたり、バスルームで切れたシャンプーを買いに行ったりしているんですね。

座間市の事件で痛ましいのは「死にたい」と書き込んだ被害者が、事件に巻き込まれた可能性があるということです。

必要なのは、事件に巻き込まれる恐れもなく安心して「死にたい」と言える場所だったんです。》


これまでの自殺研究でわかっていることがある。自殺を誘発する要因だ。

大きいのは、人とのつながりがないこと、「自分の居場所がない、だれも自分を必要としていない、生きていることは迷惑になる」という感覚を持ってしまうことにあると言われている。

職場や学校でのいじめ、不登校、家族、人間関係の問題……。居場所がない、と思ってしまうリスクは誰にでもある。

安心して「死にたい」と言える場所があるということは、「だれかが自分を受け止めてくれる場所」があるということだ。


《ネット上の「死にたい」を放置した結果、SNSで「一緒に死のう」と言ってくれた人こそが「私の理解者だ」と思ってしまう。その可能性はありえると思います。

これだけSNSの影響力があるということは、SNSは一つの世間であり、社会です。

ここで事件に巻き込まれるというリスクがあるというのは事実です。

しかし、一方で実際には自殺サイトで思いとどまる、SNSで書き込むことで、つながりを得て「やっぱり生きよう」と思う人は少なくないんです。

気持ちが知ってもらえて安心したとか、気が紛れて死のうと思っていたけど、やっぱりやめたとか。

死にたいって書いたことで、感情が静まってきたとか。彼らにとっては、辛さが和らぐ場所でもあるんです。

事件に巻き込まれるリスクを考えると、不幸なのは「死にたい」って言える場所がSNSしかないことなんですね。

SNSを運営する会社にまずやってほしいと思うのは、安易な書き込み削除やアカウント凍結ではなく、「死にたい」や「自殺」というツイートを対し、自動的に相談窓口の案内を送る、といった対策です。

削除されてしまうと、サインすら見逃してしまうんです。

相談はここでできる、まずは電話をしてみようと呼びかける。ちょっと「おせっかい」な一言で救われる人もでてくると思います。》


《繰り返しになりますが「死にたい」という言葉は、死にたいくらい辛いことがあるということなんです。彼らはしんどいんです。

「死にたい」という気持ちをまずは否定せずに認めること。そして、余裕があれば「しんどい」の中身を聞いてあげる。

聞いてもらうだけで辛さは和らぐこともあります。

身近な人であれば、例えば「2週間後にまたあなたの話が聞きたいな」といったメッセージも効果があると思います。待っていてくれる人がいるんだ、と思うことで生きられるんです。

想像してほしいのは、駅で倒れた人を見かけたときです。

目の前で倒れたら、駆けつけて、声をかけたり、救急車を呼んだり、駅員さんに声をかけたりすると思うんですよね。それと同じです。》

確かに、こういう場面で「倒れるのは自己管理ができていないからだ」「駅で倒れるなんて迷惑だ」とお説教する人はいない。心配して、救急、病院といった「専門家」につなごうとする。


松本さんは「死にたい」という言葉がでてきたときこそ、対応すべきなのだと訴える。

《本当に自殺する直前って「死にたい」ってことすら言わないんですよね。

余計なことを言って止めてほしくない。最後に伝えて親しい人が抱え込んで辛くなるだろうと気遣う。その気持ちが上回って、黙ってしまう。

安心して「死にたい」と言うことで、相談できる場所につながれば一緒に解決策を考えることができる。

死にたいというのはSOSですから、困難を解決したいんだって心のどこかで思っているんですね。

自殺を減らすためにこそ、こうした事件を減らすためにこそ、安心して「死にたい」と言える場所がある。そんな社会でないといけないんです。》

「安心して「死にたい」と言える場所」が見出せるなら、「自殺」しなくても済む可能性は高くなる。SNS規制は「安心して「死にたい」と言える場所」を狭める可能性が高いといえるだろう。
インターネットと「自殺」の関係については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161114/1479142340も参照のこと。