敬語の問題じゃない

原俊介「「〜させていただく」って使っていいの? 敬語の専門家に聞きました」https://withnews.jp/article/f0171010000qq000000000000000W05h10801qq000015967A


井上史雄氏の説明は、私が馴染んだ説明*1とはちょっとずれている。まあ、時代ということだと、近江商人よりも後の話ということになるけれど。
ところで、「させていただく」に対する違和感や抵抗というのは「敬語」とは関係ないと思う。「させていただく」というのは日本語の授受表現の受の部分。その意味は授の部分と組み合わさって、一応の完結を見る。授の部分とは〈させてやる〉とか〈させてあげる〉のこと。「 させていただく」と発話する主体に〈させてやる〉のは誰なのか。浄土真宗の敬虔な信者だった近江商人に〈させてやる〉のは勿論阿弥陀如来。ちょっとお下劣な例を出して、阿弥陀様には本当に申し訳ないのだが、「小沢信者」だったら小沢一郎。「都民ファーストの会」メンバーだったら小池百合子ということになる。問題は〈信者〉が絡んでいない普通の場合。記事では、「相手の許可が要らない場面や、自分の一方的な行いについても、頻繁に使われるようになりました」と書かれているけれど、実際のところ、、「させていただく」と発話することによって、何時の間にか勝手に、発話の宛先になった人やその場に居合わせて、その発話が聞こえる位置にいる人たちが、「許可」を与えたことになってしまうのだ。〈する〉ことの責任を自分でフルに引き受けるのではなく、相手や周囲にいる人々にも投げて、共犯として巻き込む。「させていただく」に対する違和感というのは、そのような責任の分散に対する違和感なのだ。