- 作者: 村上光彦
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1986/05
- メディア: 単行本
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村上光彦「地から天をめざして」*1(in 『鎌倉幻想行』*2、pp.60-88)
曰く、
「ミルチャ・エリアーデの翻訳を手がけた」「M・H嬢」とは誰?
地下と言えば、五月五日には*3、ぼくはまず若い人たちを田谷の定泉寺に誘って、地下深いところまで下降する洞窟に入ってみたのだった。田谷は横浜市戸塚区の一部だが、鎌倉文化圏の飛び地と見てよい。ぼく自身、ここへは小学生のときに一度来たきりで、もちろんそのときの印象はすっかり薄れている。この古寺の岩屋は、鎌倉時代以来、修験道の行者が修行の場として造営しつづけたところだ。同行した若い婦人のひとりであるM・H嬢は、いま東大大学院博士課程で宗教学を専攻している才媛だが、いかにもミルチャ・エリアーデの翻訳を手がけたりした学徒らしく、あとでこういう感想をぼくに書き送ってくれた。
「これまでにもいくつか似た類の洞窟に入ったことがありますが、田谷のそれのように宗教の行場としての性格をはっきり持っているものは初めてでしたので、とても興味深く、象徴としての死と再生の意味などいろいろ考えさせられました。」
ぼくも田谷の岩屋についてM・H嬢と同じことを考えていた。それに常楽寺*4から六国見山*5への道程も、ぼくにとっては同じ主題の明るい変奏のように感じられる。常楽寺境内の崖下にある湿った墓地、寺の裏手の栗船山にある清水冠者木曽義高の墓など、この寺もまた歴史が生んだ悲劇的な死の思い出にみちている。そしてひこばえに守られた銀杏という、あの再生のあかしがある。そのあと、時間の外に取り残された小袋谷の里*6を経て、幽界への導入部をなす長窪の切り通しを抜ければ、鴬が澄んだ声で囀り、多種多様の卯の花が咲き乱れる再生の山路に出る。そして、山路を登りきったところに塚を連想させる頂があって、そのかたわらには、彼岸の道標のような尾根の枯れ木が生と死との循環を象徴している。(pp.65-66)
田谷の定泉寺については、例えば、
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E6%B4%9E
岡戸事務所「瑜伽洞(田谷の洞窟:定泉寺)」http://www8.plala.or.jp/bosatsu/yuga-dou.htm
「定泉寺」(『日本の修行』)http://shugyo.link/spot/%E5%AE%9A%E6%B3%89%E5%AF%BA
また、エリアーデのイニシエーション論『生と再生』*7をマークしておく。
生と再生―イニシェーションの宗教的意義 (1971年) (UP選書)
- 作者: M.エリアーデ,堀一郎
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 1971
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*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170220/1487528739
*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170313/1489372426
*3:1981年5月5日。
*4:See eg. 岡戸事務所「常楽寺=北条泰時ゆかりの寺・建長寺の根本=」http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page140jyorakuji.htm https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E6%A5%BD%E5%AF%BA_(%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82)
*5:See eg. 「かつて六国を見渡すことができた北鎌倉の山」http://kamakuratrip.net/arokukokusancyou.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%BD%E8%A6%8B%E5%B1%B1
*6:See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%A2%8B%E8%B0%B7
*7:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110222/1298351689