「英語が似合う顔」(向田邦子)

承前*1

ハリウッドにおける「エクゾティックな「顔」」ということで、昨年7月に亡くなったオマー・シャリフは忘れてはいけませんね*2
さて、向田邦子「鼻筋紳士録」(in 『父の詫び状』*3、pp.248-258)から;


長いことアメリカで暮している友人が里帰りした。女ひとり仕事をして、かなりの成功をおさめていると聞いたので、早速お祝いにかけつけた。ところが、何だか変なのである。
二十年ぶりに逢うせいか、と思ったが、別の人と話しているみたいで落着かない。はっきりいうと顔が変わっている、
相手もすぐ気づいたらしく、さらりとこういった。
「美人になったでしょ。アメリカへ行ってすぐ直したのよ」
日本人の外人コンプレックスは、背と鼻が低い、目が小さいの三つだという。背だけは直らないが、直るものはみな直したそうだ。私はやっと合点がいった。
彼女は目と鼻だけがアメリカ人であった。
ポスター展で世界の子供たちの絵を見たことがあったが、インドの子供の描く絵の中の顔はみなインド人である。私達にしたところで、へのへのもへじを描いても、日本人の顔になる。それと同じように、アメリカの整形外科医は、やはり生れ育った自分の国の顔を作ってしまうのであろう。
この顔には日本語より英語が似合うと思った。
その国の言葉は、声だけでしゃべるのではない。顔や髪の毛の色や目鼻立ちや、そういうものが一緒になってしゃべるものだということが判ったのである。(pp.253-254)
向田邦子は自分の「鼻」に「コンプレックス」を抱いていて、自分の「心の中」に「鼻筋」によって分類された「二冊の紳士録を持ってい」た(pp.254-255)。それによると、「鼻梁が高く鼻筋の通った典雅な鼻の持主」には、アインシュタインシュヴァイツァーショパン、ロマン・ローラン、バッハ、リンカーンボードレールシェークスピア、「美濃部さん」*4、キリスト、芥川龍之介などがいる(p.255)。また、「高からず長からずの親しみやすい鼻の持主」としては、イプセンチェーホフ、「ベートーベン」、シューマンヘミングウェイチャーチルピカソ井伏鱒二松本清張池波正太郎がいる(pp.255-256)。これは人種や民族は問わずなので、「外人コンプレックス」とは関係ない。
新装版 父の詫び状 (文春文庫)

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