何の罪?

古屋江美子「不老長寿は幸せなの? 800歳まで生きた姫の伝説が残るお寺に質問をぶつけてみた」http://www.excite.co.jp/News/bit/E1491986180407.html


八百比丘尼」入定の地と伝えられる福井県小浜市曹洞宗「空印寺」を訪ねる*1。文章の中心が「不老長寿は幸せなの?」という実存的な問いなので仕方ないかも知れないが、若狭藩主の菩提寺になった江戸時代以降の話はあっても、伝説が出現した中世の空印寺の活動に触れられていないのは残念。「八百比丘尼」が(大化の改新と同じ)「西暦645年」に生れて800年生きたとすれば、その没年は室町時代に中る。多くの中世説話が特定の寺社或いはそれらと結びついた宗教者たちのプロモーションというか布教トゥールであったことを鑑みれば、「八百比丘尼」伝説も中世の空印寺の布教活動や利害関係と無関係であることはあり得ない。なお、「八百比丘尼」が地元の「町おこし」のネタとして目立ってきたのは「平成」(1990年代)に入ってからだという。
八百比丘尼」が「不老長寿」になったのは、「人魚」を食べたことによる。 空印寺の岸本祐孝住職は「つまみ食いの罰」という表現をしている。記事には、空印寺に伝わる、(後に「八百比丘尼」が食べることになる)「人魚」を「竜宮」で調理している場面の絵が添えられているが、人面の魚が俎板に横たえられていて、或る意味でちょっとグロい。もしかして、「不老長寿」(死ねないこと)はカニバリズム*2の罰だったのかも知れないと思った。
「竜宮」といえば浦島太郎*3。「八百比丘尼」伝説の「竜宮」と浦島太郎が行く「竜宮」は同じ場所だったのだろうかと思った。浦島太郎はそもそもは若狭国の南である丹後国の話。浦島太郎を巡っては(ちょっと古い本だけど)浅見徹『玉手箱と打出の小槌』をマークしておく。