茂木健一郎*1「<人工知能と人間の差>「きのこの山」と「たけのこの里」どちらが好きかを判定できるか?」http://mediagong.jp/?p=13059
2015年のテクスト。
「これからは「正しい、正しくない」よりも、「好き」の方が大切なのかもしれない」という。そして、
ここで、少し古いかもしれないけど、感情の認知科学的な意義を概説した戸田正直、高田洋一郎『感情 人を動かしている適応プログラム』をマークしておくというのは不適当なことではないだろう。
「きのこの山」と「たけのこの里」どちらが好きかと聞くと、だいたい50%ずつになる。凄いことだ。チョコとビスケットではあるが、その構成の差に、はっきりと嗜好性が出る。僕が子どもの頃、柿はとにかく硬いのが好きだった。母は、やわらかいのが好きで、「なんでこの美味しさがわからないのか」と言っていた。
確かに、やわらかく熟した柿が好きな人もいるのだろう。硬いのとやわらかいのは「どちらがいい、悪い」ではなく、嗜好性の違いである。
人工知能と人間の差は、ここに求めるしかないと思う。ビッグデータである評価関数を最適化するというタスクは、おそらくこれから人工知能にはかなわなくなる。しかし「たけのこの里」か「きのこの山」か、「硬い柿」か「やわらかい柿」かという選択肢は、評価関数では(おそらく)雌雄決着しない。つまり自分次第だ。
人生の選択肢は、たいてい、どちらに行っても評価関数上は変わらない。というか、決着はつかない。じゃあ、AかBか、どちらでもいいから選べ、という時に、Aを選ぶかBを選ぶか、という問題にこそ、その人らしさは顕れるのであって、これは人工知能では記述できない。
結局、好き嫌いの方が、正しい、正しくないよりも深い。
それは身体性に深く結びついているのであって、また、二度と戻ることのできない積み重ねでもある。どんな履歴にも、絶対的な理由などなく、理由はむしろあとづけ。
自分の「好き、嫌い」(特に好き)をぴかぴかに磨き上げることが大切だ。
- 作者: 戸田正直,高田洋一郎
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 1992/05
- メディア: ハードカバー
- 購入: 1人
- この商品を含むブログ (2件) を見る
まあ、「最適化」については哲学的な批判を詰めなければいけないのだけれど*2。
*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060325/1143286174 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060517/1147842324 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080606/1212728195 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100104/1262582608 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110312/1299902687 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130707/1373185561 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140819/1408461044 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141208/1418006689 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160127/1453866712 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160204/1454576883 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160318/1458227297 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160320/1458409984 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160331/1459443800 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160604/1465000005 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160627/1467033718 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160817/1471452112 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161205/1480908297
*2:その端緒としては、例えばhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130528/1369714773