Marginal woman!

高久潤「「純粋な日本人」って何? 「ハーフ」でアイドル西田藍さんの問い 大反響のブログ、現在の思いは?」http://www.huffingtonpost.jp/withnews/japanese_half_b_13197310.html


蓮舫さんが国籍で批判されたとき*1、何が問題なのかわかりませんでした」という西田藍さん*2へのインタヴュー記事。
マージナル・マン*3という言葉を想起する。境界人(周縁人)。まあ、このmarginal manという用語もジェンダー・フリーなmarginal personという表現に変えるべきなのだろう。
さて、「大反響のブログ」というのは個人blogのエントリーではなく、「幻想のなかの日本人――ハーフの表象」という書評記事だろう*4。サンドラ・へフェリン『ハーフが美人なんて妄想ですから! ! 』と岩渕功一『〈ハーフ〉とは誰か』という本の書評。その出だしに曰く、


日本では、1985年まで、国籍法では父系主義を採用していた。母親だけが日本人である場合には日本国籍は付与されないのだ。私は父親が外国人である。もし、私がそれ以前に生まれていたら、日本で、日本人の母親から産まれたとしても、父の国の、外国籍の申請をしなければ、自動的に無国籍になってしまう。この法改正が、私の産まれるたった6年前と知ったのは、中学生のときだった。日本人である、とむしろ「純粋な日本人」より強く意識し、誇りを持っていた私は、アイデンティティ・クライシスに陥った。

私が化粧をしてごく普通の格好で東京の街を歩いていても、目立つことはない。幼少期、ジロジロ見られていた「西洋人」らしい特徴は薄まった。瞳は黒色だし、髪は栗色。ありのままの色合いは、女性のファッションのマジョリティ。流行の化粧をすれば、ほら、日本人の女の子。

Marginal personは2つの社会(文化)の、どちらでもある/どちらでもないという〈間〉を生きざるを得ないが故に、(「純」の人では考えられないような)実存的苦痛に遭遇する。その苦痛を代償にして得られるのは、社会(文化)への透徹した洞察であり、現象学自由だといえるだろう。また、社会(文化)から考えれば、marginal personを多く抱え込むことによって、否応なく混じらざるを得ない〈外部〉の衝撃を和らげ、より容易に〈外部〉を取り込むことが可能になるといえるだろう。
ところで、「マージナル・マン」を鍵言葉にして検索すると、先頭に出てくるのは、以下の論文;


国歳真臣「「マージナル・マン」理論に関する一考察(1)」『関西学院大学社会学部紀要』19、1970年1月、pp.55-60
http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/19/19-ch06.pdf