スクロールとか

承前*1


osaan 2010/03/12 17:11
子どもに絵本を与えるよりも、パソコンをクリックすることをまず教える時代が来るんですかね?
まあ、最近電車の中で雑誌を読む人が目に見えて減ったことは確かですが。
みんなケータイとにらめっこ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100312/1268366282#c1268381486
「子どもに絵本を与える」場合でも紙の「絵本」ではなくて、電子データの「絵本」だったりして。親もPCの画面をスクロールしながら読み聞かせをするとか。
さて、前回引用したhttp://d.hatena.ne.jp/kunimiya/20100307/p1では、紙の本と電子メディアとの対比に力点が置かれていたかと思う。それから考えたのは、紙の本といっても色々あるよねということだった。紙の本で先ず思い浮かぶのは冊子(book)だろう。英語のbookは先ず冊子というあの形態を指すので、ノートブックもあれば、また銀行の預金通帳やパスポートもbookではある。その他に、(お経とかでよく使われる)折り本もあるし、巻子本(巻物)もある。さらには1枚の紙を折り畳んだリーフレットも紙の本の一形態であるといえるだろう。とはいえ、本といえば冊子(book)が支配的であり、折り本やリーフレットというのは、本の形態としては周縁的なものでしかないとはいえるだろう。巻物、特に絵巻物に至っては、本というよりも美術品だと見做されている。巻物を昔の人みたいに少しずつ開きながら読んだという経験のある人は少ない筈だ。美術館や博物館で開かれた巻物を硝子越しに見るというのは昔の人が少しずつ巻物を開きながら(そして同時に、既に読んでしまった部分を巻きながら)読んだのとは経験の質を異にする。
インターネットに接続してサイトのhtmlの文章を読むということをし始めた頃、不図思ったのはこれを引用するときに、頁数をどうやって表示したらいいのかということだった。(雑誌を含む)紙の本から引用する場合には書名(或いは論文名、記事名)と引用箇所の頁数を記載するというのを当たり前のことだと思っていた。実際には、本文や註においては書名は言及せず、著者名と刊行年と頁数だけ記載して、テクストの最後に一括して文献目録を載せるというのが、学術論文では支配的なスタイルではあるが。定義としては、ウェブにおいては、或るディレクトリーに置かれた1つのファイルがpageということになるのだろうけど、紙の本で数頁どころか、場合によっては単行本1冊以上の分量の文字列がウェブにおける1頁ということもありうる。紙のbookという形態を当たり前のものだと思っていたこちらにとっては、これは途方もないことである。それから、この頁という概念がそもそもbook(冊子)という形態に特有のもの、bookによって産み出されたものだと気づいた。巻物の場合、開いてしまえば1枚の紙であり、そこに頁というものが存在する余地はない。そして、ウェブの文章を読むというのは巻物を読むことに近いのかなと思ったのだ。ウェブ以前というか、そもそもPCで、例えばワープロ・ソフトで文章を読む場合、頁全体が画面に表示されることはない。つまり、紙の本と違って、頁全体を一挙に見渡すということはできない*2。マウス(ポインター)を使って画面をスクロールすることなくしては、文章を読んでいくことができない。そういえば、英語のscrollは名詞では巻物という意味だ。因みに、pdfは電子テクストの読み方を紙の本の読み方に近づける努力の産物だったのだろうと思う。ちゃんと頁数もついているし。電子テクストの読み書きは、ワープロ専用機の時代から数えれば、もう20年以上になるし、ウェブを読み始めてからも既に15年以上経っている。なので、何時の間にか、巻物的読書にも違和感を感じなくなってはいる。
最初の「子どもに絵本を与えるよりも、パソコンをクリックすることをまず教える時代が来るんですかね?」に戻ると、人生で最初の読書が本の頁を捲って読んだのか、それとも画面をスクロールしながら読んだのかという違いは、その後の読書という動作の基本的な感覚の形成にけっこう重大な影響を与えるかも知れないなと思うのだ。所謂ケータイ小説*3に対するスタンスというのも、もしかしたら、捲るのとスクロールするのとどっちに親和性を感じるのかということと関係があるのかも知れない。勿論、今のところ、人生最初の読書がスクロールという人はまだいないのだろうけど。


「絵本」、或いは「絵本」の読み聞かせ*4について。幼い頃に親から「絵本」を与えられたという記憶はない。だから、世に謂う名作絵本とかも知らずに育った。『ピーター・ラビット』を知ったのも生物学的な意味で大人になってから。というか、私にとって、それは「絵本」というよりも大貫妙子さんの歌というイメージの方が強いのだ。

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