Nikolai Bakhtin

バフチン (平凡社新書)

バフチン (平凡社新書)

桑野隆『バフチン*1から。
1928年12月24日早朝にミハイル・バフチンは逮捕されている(p.79)。それは某宗教サークルとの関係を疑われたためである。その「サークル」については、今は触れない。結局起訴され、カザフスタンのタスタナイへの5年間の流刑という判決が下されてしまう(p.87)。ところで、ミハイルに対する起訴状には、兄のニコライ・バフチンのことが言及されている(p.84)。曰く、「有名な君主制主義者である兄ニコライ・ミハイロヴィチ・バフチンは、現在外国にいて、ソ連との武装闘争と復古の積極的な唱道者となっている」。
桑野氏は、


この兄ニコライ・バフチンについて手短に述べておくと、一九一八年に白軍に参加し、やがてロシアを去り、紆余曲折を経たのち、一九三五年にはイギリスのサザンプトンでカレッジの古典の准講師に任命されている。そして三九年にはバーミンガム大学の古典の講師となり、四六年にはそこに言語学部を開設している。その頃にはすでにコミュニストに転じていた。仕事としては、プラトン研究、近代ギリシア語研究、ロシア文学論等を残しており、ヴィトゲンシュタインに影響をおよぼした可能性も云々されている。(pp.84-85)
と書いている。
Craig Brandist氏によれば、ニコライの「古典」についての知識は露西亜にいるときに身につけたものである――”Nikolai Bakhtin had a solid classical education from his German governess and graduated from Petrograd University, where he had been a pupil of the renowned classicist F.F. Zelinskii.”*2

さて、戸田孝「キリル文字は誤伝で生まれた?! 」というテクストがある*3。「キリル文字」は羅典文字の記憶違いによって生まれたという俗説に反論する内容。戸田氏は参考文献として、


ニコラス・バフチン(1935) 古典研究者のための現代ギリシア語研究入門, 日本語訳(北野雅弘, 1998) http://www.page.sannet.ne.jp/kitanom/modgre/bakh1.html


を挙げている。この「ニコラス」はミハイルの兄ニコライと同一人物。というか、英国亡命後に英語風の「ニコラス」にしたのでは?