『エロ事師たち』縁起(メモ)

水口義朗「野坂昭如の世界」http://book.asahi.com/reviews/column/2016021400002.html


野坂昭如*1の最初の小説『エロ事師たち』が書かれた経緯についての箇所を切り取っておく;


1950年代、ラジオからテレビへと続いたマスコミ戦国時代。作家になる前の野坂は作曲家・三木鶏郎(とりろう)の事務所でCMソングの作詞、タレント、台本構成、マネージャーと闇雲に働いたが、脚光を浴びるのは常に同じ事務所の才人、永六輔のほうだった。
 七転八倒、刀折れ矢つきて、必死の思いで活路を求めたのが活字の世界だった。「週刊コウロン」誌のコラム欄執筆にありついたが、すぐに休刊。しばらくして、まもなく休刊という別の雑誌に「奇抜な、面白い読み物なら」というチャンスがめぐってきた。
 それが野坂の小説家デビュー作『エロ事師たち』となった。いまでいうAV業者の舞台裏話。当人は小説を書けるなどとは思ってもいなかったが、400字詰め原稿用紙で120枚書いた。
 発表直後の反響は梨のつぶてだったが、やがて吉行淳之介が注目作品として取り上げ、さらに三島由紀夫が「世にもすさまじい小説」と激賞した。野坂も担当編集者も、狐(キツネ)につままれた面持ちだった。
エロ事師たち (新潮文庫)

エロ事師たち (新潮文庫)

『週刊コウロン』は中央公論社が出していた週刊誌。実物を古本屋とか図書館とかで見たことはない。司馬遼太郎が『上方武士道』*2を連載していたのもここだった筈。週刊誌ということだと、新潮と文春は生き延び、中公は早死にしたことになるが、何故そうなったかを考察した人がいるかどうかは知らず。エロ事師たち』に話を戻すと、これは最初に英訳された野坂の小説だった(もしかして、唯一の英訳?)。タイトルはPornographers。この英訳は、野坂昭如に微妙ではあるが重要な実存的危機をもたらしたのであった。その危機を描いたのが「俺はNOSAKAだ」ということになる(cf. 蓮實重彦『反=日本語論』)。
俺はNOSAKAだ (1972年)

俺はNOSAKAだ (1972年)

反=日本語論 (ちくま文庫)

反=日本語論 (ちくま文庫)

ところで、最初に『エロ事師たち』というタイトルを見たとき、「エロゴトシ」と念めずに、エロジシと言ってしまったのだった。Erotic lions?