メタ小説としての

須賀敦子「読書日記」(in 『塩一トンの読書』*1、pp.58-66)


ジュール・ヴェルヌの『海底二万海里』はたしか中学のときに角川文庫版*2を読んだんだと思う。そして、自分で買ったのではなく誰かの分厚い文庫本を借りた。
須賀さん曰く、


海底の冒険談もおもしろいが、なによりも、この本は、まるで、小説を読むとは(したがって、小説を書くとは)どういうことなのか、について書かれているようなところがあって、興味がつきない。ノーチラス号がなにを目標に海底の旅をつづけているのか、ネモ艦長はアロナックス教授におしえてくれない。それがアロナックス教授といっしょに船に閉じこめられたカナダ人のネッド・ランドには我慢ができない。アロナックス教授は、ネモ艦長の展開する毎日のファンタスティックな冒険のディテールがあまりに愉しいので、それでじゅうぶん満足している。早く終りが知りたいと、あせっているネッド・ランドと、「いつか、帰れれば、それでいい」とおもって、ディテール/話の運びそのものをエンジョイするアロナックス教授の対置。
「終りはどうなるの」子供のころ、そう訊ねてよくおとなに叱られた。「だまって聞いていらっしゃい。途中がおもしろいんだから」(pp.62-63)
「だまって聞いていらっしゃい。途中がおもしろいんだから」――いい大人だ!
海底二万海里 (角川文庫クラシックス)

海底二万海里 (角川文庫クラシックス)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20151228/1451281770

*2:須賀さんが参照しているのは清水正和訳の福音館書店版。