猿には不可能

明和政子*1「猿にはまねできない「サル真似」 他者の心を理解する鍵」http://www.asahi.com/articles/ASHDK45Q1HDKPTFC00P.html


ウェブでは肝心要のところが読めないのだけれど。


日本に住む私たちにとって、サルは古くから身近な存在でした。桃太郎、猿蟹(さるかに)合戦、サル芝居、サル真似(まね)。サルが登場する昔話や民話の数の多さがそれを物語っています。いわゆる先進諸国のなかで、ヒトとサルがこれほど近接した空間で共生してきたのは日本だけです。

そうした背景もあってか、日本は独自の感性で霊長類学を開拓してきました。おもしろいことに、西欧の研究者は個々のサルに番号を割り振って彼らの行動を記録していました。しかし、日本の研究者はサルに「ウメ」「モモ」といった名前をつけていました。そうすると、サルのふるまいがまるでヒトを見ているかのように具体的にみえてきます。日本の霊長類研究は、サルにも体系だった社会構造や文化らしきものがあることを発見してきました。日本人特有のサル観なくして、霊長類学の発展はなかったでしょう。

たしかに、日本における霊長類学は、研究対象を「名前」を有した個性的な存在として見るという態度の上に大きな成果を挙げてきた*2。それが「日本人特有のサル観」によるものかどうかはわからないが、日本の生態学的特性が関係していることは確実だろう。つまり、ヨーロッパや北米には野生の猿が棲息していない*3

しかし、サルは真似しません。賢いイメージがあるチンパンジーですら、相手の行動を真似ることは難しいのです。サル真似するのはヒトだけです。真似はヒトが進化の過程で独自に獲得してきた種特有の能力であり、ヒトの本性を考える鍵といえます。
「真似」ということでは、オリヴァー・サックスの「神童たち」(in 『火星の人類学者』)*4を先ずマークしておく。「真似」のために必要なこと、対象の振る舞いから即座にその特徴(らしさ)を抽出し、それを略リアル・タイムで自らの筋肉の運動に翻訳すること*5
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

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