原節子

不意討ちのように飛び込んできたニュース。
『読売新聞』の記事;


原節子さん死去…「青い山脈」、伝説の女優
2015年11月25日 23時37分


 清純派の美人スターとして戦前戦後を通じて活躍し、「永遠の処女」と呼ばれた伝説の女優、原節子(はら・せつこ、本名・会田昌江=あいだ・まさえ)さんが、9月5日に肺炎のため死去していたことが、25日分かった。95歳だった。

 近親者で密葬した。同居していた親族によると、原さんは8月中旬頃から入院していた。本人の希望で亡くなったことは伏せていたという。

 横浜高等女学校を中退し、1935年、義兄・熊谷久虎監督の縁で日活多摩川撮影所に入社。15歳で「ためらふ勿れ若人よ」でデビューした。「緑の地平線」「河内山宗俊」などを経て、37年、日独合作映画「新しき土」のヒロインに抜てきされ、大きな話題を呼んだ。

 戦後には、黒沢明監督「わが青春に悔なし」、吉村公三郎監督「安城家の舞踏会」、今井正監督「青い山脈」など名匠の作品に出演、日本人離れした彫りの深い美貌とはつらつとした明るさで人気女優の地位を確立した。特に小津安二郎監督「晩春」「東京物語」、成瀬巳喜男監督「めし」「山の音」などの名作で、知的で優しい成熟した女性像を演じ、名実ともにトップ女優になった。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20151125-OYT1T50238.html

NHKの報道;

日本映画界の伝説的女優 原節子さん死去
11月25日 22時44分


映画「東京物語」や「晩春」など、小津安二郎監督作品に欠かせない女優として活躍したものの、昭和30年代に突然引退して日本映画界の伝説的な存在と言われた元女優の原節子さんが、9月5日に神奈川県内の病院で肺炎のため亡くなっていたことが分かりました。95歳でした。
原節子さんは大正9年に横浜で生まれ、15歳のときに映画「ためらふ勿れ若人よ」で女優としてデビューしました。昭和12年には、日本とドイツの合作映画「新しき土」でヒロインに抜擢(ばってき)され、日本人離れした顔だちと清潔感あふれる演技で人気スターとなりました。
戦後は、高校の英語教師の役で出演した「青い山脈」で新しい時代に生きる女性の姿を演じる一方で、「麦秋」「東京物語」など小津安二郎監督の作品に数多く出演し、婚期を迎えた年頃の娘の役で見せた印象的な演技で、日本映画界を代表する大女優としての評価を不動のものとしました。
しかし、昭和37年、101本目の映画「忠臣蔵」に出演したのを最後に突然引退し、映画関係者やマスコミとも一切連絡を絶って公の場に姿を見せなくなり、日本映画界の伝説的な存在となっていました。
原さんはことし8月の後半から体調を崩し、入院していたということですが、9月5日、肺炎のため亡くなっていたことが分かりました。95歳でした。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151125/k10010319561000.html

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5年前の2010年、無事に90歳のお誕生日を迎えられたという記事を読んで、何やらほっとしたということがあったのだ*1昭和天皇が死んで既に4分の1世紀以上経つ。でも、私の意識はまだ〈昭和〉を葬ることができずにいた。私の中ではまだ〈昭和〉が続いていたのだ。しかし、原節子さん逝去のニュースを読みつつ、〈昭和〉は終わったんだと、ようやく確信することができたのだった。

*1:Peter Bradshaw “The heart-wrenching performance of Setsuko Hara, Ozu's quiet musehttp://www.guardian.co.uk/film/filmblog/2010/jun/16/setsuko-hara-birthday-tokyo-story See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100618/1276859625