北の湖の死

横綱日本相撲協会の現役の理事長である北の湖敏満氏*1が逝去。享年62歳。
『日刊スポーツ』の記事;

北の湖さん死去 62歳、直腸がん 命削り九州場所
[2015年11月21日9時29分 紙面から]


 大相撲の第55代横綱で、日本相撲協会の理事長を務める北の湖敏満氏(本名・小畑敏満)が九州場所13日目の20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため福岡市内の病院で急逝した。62歳だった。現役時代は、74年名古屋場所後に史上最年少の21歳2カ月で横綱に昇進。ライバル輪島と「輪湖時代」を築き、歴代5位の24度の優勝を重ねた。近年は入院や手術を繰り返し、体も激やせしていた。葬儀・告別式などは未定。現職理事長の死去は68年に亡くなった元横綱双葉山時津風理事長以来で、理事長代行は八角事業部長(元横綱北勝海)が務める。日本相撲協会は今日21日に緊急理事会を開き、今後の方針を決める。

 九州場所が白熱してきたばかりだった。その結末を見る前に「北の怪童」が逝ってしまった。午後6時55分。北の湖理事長は静かに息を引き取った。まるでこの日の取組が終わるのを、待っていたかのように。

 体調不良を訴えたのは20日朝だった。貧血の症状で福岡市内の病院へ救急搬送された。当時、容体は安定していた。だが、夕方になって急変した。最期はおかみさんの小畑とみ子夫人らにみとられて、安らかに。部屋付きの山響親方(元前頭巌雄)は「最期の言葉もなかった」と明かした。元横綱双葉山時津風理事長以来となる現職の理事長のまま、帰らぬ人となった。今後「北の湖部屋」は、山響親方が「山響部屋」として継承する方針という。遺体は斎場に移され、21日に陸路で東京へ搬送される。

 近年は体調がすぐれなかった。史上初の理事長復帰を果たしたのは12年2月。直前に見え始めた大腸がんの兆候を周囲には隠した。13年末に、大腸ポリープの除去手術後に腸閉塞(へいそく)を起こして入院。今年7月には腎臓に尿がたまる「両側水腎症」で手術し、体重も20キロ以上やせた。

 10月に入っても腎臓がすぐれず、都内で入院していた。秋場所に続いて今場所も、土俵祭りや協会あいさつを欠席。場所中は会場に着いても車の中で2時間、横たわる日もあった。それでも大関戦が始まると、報道陣には何事もなく対応した。亡くなる前日の12日目まで、変わらなかった。

 北海道に生まれ、66年冬に上京した。初土俵を踏んだ67年初場所は、まだ「中学生力士」が認められていた。13歳だった。三保ケ関部屋で、瞬く間に番付を駆け上がった。15歳9カ月で幕下に昇進し、72年初場所に新入幕。74年名古屋場所後に、今も不滅の史上最年少、21歳2カ月で横綱に上り詰めた。横綱輪島との白熱した「輪湖時代」は、日本中を熱狂させた。歴代5位の優勝24度を遂げた。

 強すぎる横綱だった。あんこ型で左四つの本格派。「憎らしい」とまで言われた。「負けろ」という声も飛び交った。当時のことを、こう述懐していた。「横綱は、頑張れと言われたらおしまいですから」。何よりのエールと受け止める憎らしさが、真骨頂だった。

 引退後は元横綱大鵬に続いて2人目の一代年寄北の湖」を襲名した。02年2月に理事長に就任し、弟子の大麻問題などで08年9月に辞任したが、12年に再び返り咲いた。「残りの人生すべてを懸ける」と公益財団法人への移行に尽力し、一貫して「土俵の充実」を掲げた。相撲人気を徐々に復活させ、来年を楽しみにした。その矢先だった。昭和の大横綱は博多の冬空へ、無念の旅立ちとなった。

 ◆北の湖敏満(きたのうみ・としみつ)本名・小畑敏満。1953年(昭28)5月16日、北海道生まれ。67年初場所初土俵。74年名古屋場所後に史上最年少の21歳2カ月で横綱に昇進した。優勝24回は歴代5位。85年初場所で引退、一代年寄北の湖」を襲名。同年11月に三保ケ関部屋から独立して部屋を創設した。02年2月に理事長就任。4選を果たしたが、08年9月に弟子の大麻問題で辞任。11年4月に弟子の八百長関与で、96年から務めていた理事も辞任したが、12年に理事長に復帰した。
http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1568951.html

兎に角強くて、しかもぶっきら棒だったということは覚えている。ぶっちゃけた話、その〈不人気〉の理由としては、同時代のライヴァルだった輪島や貴ノ花*2と違って、〈イケメン〉ではなかったということもあったと思う。ただ、逆にその朴訥さを愛したという人も少なくなかった筈。
それにしても、取的の寿命は短いなという印象はある*3北の湖の62歳というのも現代人の感覚からすれば若死ということになるだろう。2010年に亡くなった初代若乃花花田勝治氏)は享年82歳だったが*4、その実弟貴ノ花は55歳で亡くなった。また、今年6月に亡くなった音羽山親方(元貴ノ浪)は享年43歳。その貴ノ浪を現役時代に苦しめた剣晃は1998年に僅か30歳で白血病で没している*5統計学的には甚だ怪しい、取的は早死にするという印象の元になっているのは、やはり1971年に現役の横綱玉の海が27歳で急死するという事件だった。20代の現役選手が病死するというのは他のスポーツではあまりないでしょ?
北の湖の訃報から、こんな辛気臭い記憶が喚起されてしまった。
See also

村社拓信、上鵜瀬浄「<北の湖さん死去>「憎らしいほど強い」毅然とした理事長」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151120-00000123-mai-spo
motome-life「【訃報】「江川ピーマン北の湖」昭和の大横綱 北の湖理事長が死去!」http://matome.naver.jp/odai/2144803219250179001
ayumickey512「憎らしいほど強かった!"昭和の大横綱"北の湖理事長の訃報に悲しみの声・・・」http://matome.naver.jp/odai/2144802229142208701
「元横綱北の湖死去」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151120/1448025202