『朝日新聞』の記事;
「佐田の山」の記憶はないのだった。角力についての(多分)いちばん古いんじゃないかという記憶は柏戸引退。今調べてみたら、1969年5月場所*1。アポロ11号が月に着陸する直前だぞ! 1968年3月に引退している佐田の山の土俵というのは憶えていなくて、まあ当然か。だから、「出羽海親方」としてしか知らない。ところで、柏戸も大鵬も「横綱」としては先輩に当たる(柏戸は同い年、大鵬は2つ下)。柏戸(鏡山親方)は1996年に他界し、大鵬は2013年に他界している。また、最近、北の湖 *2、千代の富士(九重親方)*3といった後輩に当たる横綱たちが何れも60代前半で逝っている。現代において79歳というのは取り立てて長寿というわけではないけれど、取的は薄命だというイメージからすれば、やはり長生きだったんだなという感じはする。
元横綱・佐田の山死去 優勝6度、相撲協会理事長務める2017年5月1日12時30分
大相撲の元横綱佐田の山で、日本相撲協会理事長も務めた元出羽海親方の市川晋松(いちかわ・しんまつ)さんが4月27日、肺炎のため死去した。79歳だった。1日、日本相撲協会が発表した。
長崎県有川町(現新上五島町)出身。1956年初場所で初土俵を踏み、61年初場所で新入幕。入幕3場所目の同年夏場所で初優勝した。「平幕優勝者は出世しない」のジンクスを破り、62年春場所後に大関へ。65年初場所後に第50代横綱に昇進した。幕内在位44場所で優勝6度。殊勲、敢闘、技能の各賞を1度ずつ受賞した。
68年春場所で引退後、出羽海親方として関脇出羽の花や小結舞の海ら多くの関取を育てた。92年から98年まで相撲協会理事長を務めた。
http://www.asahi.com/articles/ASK5142CRK51UTQP011.html