『パラドックスの社会学[パワーアップ版]』

パラドックスの社会学

パラドックスの社会学

森下伸也、君塚大学、宮本孝二『パラドックス社会学[パワーアップ版]』(新曜社、1998)を先週読了。


「パワーアップ版」まえがき
初版へのまえがき


序章 パラドックスのすすめ


第1章 パラドックスの類型学
第1節 論理的パラドックス
第2節 意味と機能のパラドックス
第3節 因果はめぐる
第4節 意識のパラドックス


第2章 現代社会のパラドックス
第1節 人間存在のパラドックス
第2節 人間関係のパラドックス
第3節 集団のパラドックス
第4節 逸脱のパラドックス
第5節 家族と愛情のパラドックス
第6節 科学と技術のパラドックス
第7節 文化と教育のパラドックス
第8節 経済のパラドックス
第9節 権力のパラドックス
第10節 運動のパラドックス


第3章 逆接としての文明


あとがき
事項索引
人名索引

この「パラドックス」ということを鍵とした社会学入門書は1989年に初版が出され、1998年に改訂版すなわち「パワーアップ版」が出されている。「「パワーアップ版」まえがき」に曰く、「この「パワーアップ版」では、旧版の鮮度の落ちた部分を大幅に削除してイキのいいものに入れかえた」(p.ii)。1980年代じゃなくて1990年代の本だなと感じさせられるのは、冷戦の終結(東欧における社会主義体制の崩壊)、阪神大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件等がテクストの改訂に反映されていることだ。その反面、意外に思ったのは、インターネットへの言及が全くないこと。この頃は、Windows 95i-Modeの間。まだ2ちゃんねるも始まっておらず、インターネットは多分に多幸症的な少年時代を過ごしていたと(21世紀目線で)言える。それから、この本の鍵言葉であろう「パラドックス」或いは「意図せざる結果」ということだと、この頃というのは冷戦の終結とか(日本の)55年体制の崩壊というのが(当初考えられ、また喧伝されていたような)いいことばかりじゃないということがかなりあからさまになっていた筈なのだが。例えば各国におけるナショナリズムの噴出や露骨な新自由主義化。
少しメモ;

欲求と同様に、知覚も文化的条件に規定されている。意味を自在に付与してしまう人間は、客観的事実をすらひっくり返してしまう。対象が何であるかを認知することができるのは、意味があるから意味が生まれるのではない。意味があるから対象が認知されるのである。意味こそが原因で、対象はむしろ結果なのだ。三角形という図形の意味を知っているからこそ、三本の線の集まりは三角形に見える。このような意味は言語によって主に表現されるので、人間は主として言語の習得を通じて意味を身につけ意味形成の能力を養成する。言語は社会的に共通な意味を人間に提供してくれる基本的な媒体なのである。(第2章第1節、p.90)

性格の形成過程で大きな影響力をもつのが、他者の反応や評価である。意味を形成する自我は、他者とのコミュニケーションを通じて形成されるのであり、自我は他者の目の獲得にほかならない。いわば他者となることによって自我か確立されるのであり、このパラドックスこそ人間存在の特質をよく示している。そしてこの自我を中核としてパーソナリティが成立する。パーソナリティは個人的特徴、すなわち感じかたや考えかたや表現のしかたの個人的特徴である。それは意味づけのしかたの個人的特徴といってもよい。(第2章第1節、p.93)
もっと批判的なコメントは別に行う(かも知れない)。