「藤島部屋のお相撲さん」

まだ若いというか、10年前に現役引退したばかりだよ。
『朝日』の記事;


大関貴ノ浪音羽山親方が死去 43歳、急性心不全
2015年6月20日20時42分


 大相撲の元大関貴ノ浪音羽山親方(本名浪岡貞博=なみおか・ただひろ)が20日午前10時55分、急性心不全のため大阪府内で死去した。43歳だった。通夜は21日午後7時、葬儀は22日午後0時30分から名古屋市守山区苗代2の1812の平安会館守山斎場で。

 青森県出身。元大関貴ノ花の故二子山親方に見いだされ、1987年春場所初土俵を踏んだ。身長196センチの上背と深い懐を生かした豪快な相撲で、弟弟子の横綱若乃花貴乃花らとともに昭和から平成の相撲ブームを支えた。

 94年初場所後に大関に昇進。2度の優勝を果たしたが横綱にはなれず、足首のけがから99年九州場所後に大関から陥落した。一度は返り咲きながら再び陥落し、その後も幕内の土俵を務め2004年夏場所を最後に引退した。通算成績は777勝559敗13休。

 引退後は年寄音羽山を襲名。貴乃花部屋の部屋付き親方として、後進の指導に当たっていた。また、審判委員として本場所の勝負審判も務めた。
http://www.asahi.com/articles/ASH6N5GW0H6NUTQP020.html

また、出身地の『東奥日報』の記事;

大関貴ノ浪音羽山親方(青森県三沢市出身)急逝 郷土の関取ら衝撃
Web東奥 6月21日(日)14時47分配信


 大相撲元大関貴ノ浪音羽山親方が急死した20日、対戦経験のある本県*1出身の親方や関取らに衝撃が走った。「相撲も気持ちも懐が深い親方だった」。心遣いの人の早すぎる死を悼んだ。
 「懐の深さはもちろん、足腰が強かった。押してもなかなか下がらない。簡単に寄り切れる相手ではなかった」と語った若の里関(弘前市出身)。思い出に残っているのは1998年に青森市で開催された夏巡業で当時、大関貴ノ浪から指名を受け、厳しく稽古を付けてもらったこと。「今振り返ると、伸び盛りの若手として地元の人たちに覚えてもらう心遣いだったのだと思う」
 安美錦関(深浦町出身)も「あの懐の深さをどう攻略しようかと考えて対戦していた。最後まで攻略できなかったけれども、やりがいがあった」としんみり。テレビ・ラジオでの解説ぶりに触れ、「相撲に詳しくない人に向けて、聞きやすくて分かりやすく話していた。まさか、こんなに早く亡くなるなんて」と驚きを隠せない様子だった。
 元小結岩木山の関ノ戸親方(弘前市出身)は「大関を務めて恐れ多い存在なのに、(音羽山)親方から話し掛けてくれた。物腰の柔らかい人だった」としのんだ。5月の夏場所では音羽山親方が、日本人力士として優勝の期待が懸かる大関稀勢の里関の取組を、テレビで熱心に見つめていた姿が印象的だったという。
 元小結高見盛振分親方板柳町出身)は食事中に、本紙取材で音羽山親方の死去を知ると、「えっ」と驚きの声を上げた。「自分のような不器用なタイプでも受け入れてくれる懐の深さがあった。相撲界のために必要な人だったのに…」と声を落とした。
 元関脇追風海で現役時代に対戦経験のある県議の齊藤直飛人さん(板柳町出身)も突然の訃報に耳を疑った。「期待に応えられなかったが、大関を目指して頑張れよと言われたのを覚えている。ご冥福をお祈りしたい」と語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150621-21144728-webtoo-l02

『朝日』の別記事(「クレバーで飄々、実は感激屋 元大関貴ノ浪が死去」*2)の、

所属部屋が、心酔する師匠で元大関貴ノ花の「二子山部屋」から、息子の「貴乃花部屋」に代替わりした際は、こう言った。「関係ないよ。僕は藤島部屋のお相撲さんだから」。「藤島」は、自身の入門当時に師匠が名乗っていた名跡だ。「大関貴ノ花の弟子である誇りを持ち続けている」と語っていた。
という部分が印象に残った。貴ノ浪は弟弟子の花田兄弟とともに1990年代の(最後の)二子山部屋の覇権を支えたわけだが、今となっては、そのこと自体が夢のようにぼんやりしている。貴ノ浪が現役を引退した次の年に起こったのが若貴確執だった*3
貴ノ浪は吊り出しを得意としたが、やはり吊り出しを得意とした大麒麟押尾川)も2010年に亡くなっていたのだった*4。また、貴ノ浪をさんざん苦しめた剣晃は1998年に、僅か30歳で白血病のため他界している*5