1992年の「ビニ本」

「禁断のビニ本、発祥の店はいま・・・月130万冊発行した時代も」http://withnews.jp/article/f0150420007qq000000000000000G0010701qq000011881A


少しメモ。


ビニ本」は、ポリ袋に入れられたアダルト本の総称です。その中でも普通の書店には並ばない、きわどい描写の女性ヌード写真集を指します。立ち読み防止のためポリ袋に入れられました。発祥は神保町といわれています。一部の古書店に1970年代半ばから出回り、1979年に爆発的ブームになりました。

 1980年9月19日号の週刊朝日によると、当時、出版社が30〜40社あり、新作は月120冊ほど、発行部数は月計130万〜140万冊と推定しています。

タイトルに謂う「ビニ本*1「発祥の店」とは「芳賀書店」のこと;

神保町にある「芳賀(はが)書店」は、最初にポリ袋に入れて売り始めた書店とされています。販売を決めたのは現会長の芳賀英明さんです。芳賀書店は1936(昭和11)年、巣鴨で創業。空襲で被災し、戦後の48年に神保町で再出発しました。出版部門も抱え、1967年には劇作家寺山修司の評論集「書を捨てよ、町へ出よう」を出したこともありました。

 芳賀さんが働き始めたころ、売り上げは低迷していました。脱却の糸口として目を付けたのがビニ本でした。狙いは的中。取次会社を経た本の場合、書店の利益は価格の1割でしたが、出版社が直接納めるビニ本は4割が利益になりました。1億円に満たなかった年商はすぐに3億円になり、80年代半ばには最高の24億円に。80年完成の8階建て本店ビルの建設費5億円をあっという間にまかないました。


ビニ本」ブームが去った後、家庭用のビデオが普及。さらにインターネットの登場で、アダルト業界は一変しました。現在の芳賀書店の売り上げの中心はアダルトDVD。書籍の売り上げは2割程度です。芳賀書店の年商は最盛期の7分の1に減りました。出版部門は活動停止状態です。
書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

(出版社としての)芳賀書店は主に映画(洋画)関係の本を出していたのではないかと思う。ところで、「会長の芳賀英明さん」は私の恩師と一字違いなのだった。芳賀書店の社長の弟だろうと時々言われるとは言っていた。
上の記事は添えられている写真が興味深い。例えば、芳賀書店本店ビルの(改正した姿ではなく)鉄骨も露わな「建設中」の写真。また、1992年の新宿歌舞伎町の写真。「ビデオ ビニ本」というネオン・サイン。1992年の段階で、「ビニ本」という言葉はまだ生きていたんだね。私は、この言葉はバブルに突入するかしないかという時期に死んでいたのだとてっきり思い込んでいた。