「無差別平等」(メモ)

藤田孝典「「自己責任論」が与える私たちの暮らしへの影響 ―社会保障生活保護を中心に―」http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujitatakanori/20150126-00042559/


「自己責任」に悪酔いした人は*1社会福祉(学)の基本概念たる「無差別平等の原理」について復習してみてもいいのではないかということ。
さて、

六辻彰二*2イスラーム国による日本人人質事件に関する「自己責任論」と「首相責任論」の狭間」http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20150124-00042512/


曰く、


このうち、「自己責任論」は2004年のイラクでの3人の人質事件以来、こういった事案のたびに、定期的に出てくるものです。今回のケースでいえば、自己責任論を叫ぶ人たちの最大公約数的な論理は、「危険を承知して自分の意志で行ったのだから、それが拘束されたからといって、政府が方針を変更するのはおかしいし、身代金を払うこともない」だと思います。

個人が自らの行為に責任を負うのは当然です。また、人質を取られるたびに方針を変更すれば、国家そのものがテロリストに乗っ取られます。したがって、既に打ち出している政策の変更はするべきではないでしょう。さらに、今回の場合、2億ドルという金額が、いかにも高すぎることも確かです。

ただし、本来、責任を追及すべき対象が、人質をとった側にあることはいうまでもありません。国内で犯罪が発生した際、「被害者にも落ち度がある」というのはよく聞く言い方ですが、それは原因の一つを指摘しているだけで、それと責任を置き換えた言い分です。その営為は「当事者みんなに責任がある」という結論に行き着きやすく、責任の所在をかえって曖昧にします。これはトラブルや問題そのものを忌避する、ムラ的発想といえるかもしれません。いずれにせよ、今回の場合、2人の日本人がシリアに赴いたことは、今回の出来事が発生した「原因」の一つですが、「だから何をされても文句をいえないはずだ」というのは、テロリストの責任を減じ、結果的にはこれを擁護することになります。