同い年死んで

斎でも齋でもなく「斉藤」だったのね。
既に時間が経ってしまったが、NHKの報道;


五輪で連続金 柔道の斉藤仁さん死去
1月20日 10時26分


オリンピックの柔道で2大会連続で金メダルを獲得し、日本の男子代表の監督も務めた斉藤仁さんが胆管がんのため亡くなりました。54歳でした。

青森県出身の斉藤さんは中学卒業後に上京し、東京の強豪高に入学して頭角を現しました。
体重無差別で日本一を決める全日本選手権では、連覇を続けていた山下泰裕さんと1983年から3年続けて決勝で対戦し、1回も勝てませんでしたが名勝負を繰り広げました。この間、1984年のロサンゼルスオリンピック95キロを超えるクラスで金メダルを獲得しました。
山下さんが引退した後は重量級のエースと期待されながらけがに苦しみましたが、1988年のソウルオリンピックで日本柔道にただ一つの金メダルをもたらしました。
引退後は指導者として2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピックと2大会連続で男子代表の監督を務め、金メダリストになった鈴木桂治選手などを育てました。さらに2012年からは全日本柔道連盟の強化委員長を務めるなど日本柔道を支えてきました。
斉藤さんはこのところ体調を崩し、治療を受けていましたが、胆管がんのため20日午前2時56分、大阪府内の病院で亡くなりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150120/k10014812241000.html

スポニチ』の記事;

斉藤仁さん がんで死去 54歳 柔道で五輪2大会連続金メダル


 84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の柔道男子95キロ超級で2大会連続金メダルを獲得した斉藤仁氏が20日午前2時56分、大阪府東大阪市内の病院で亡くなった。54歳。全日本柔道連盟などが明らかにした。青森県出身。

 通夜、葬儀の日程は未定で、後日全柔連が発表する。

 13年に胆管がんを患い、闘病生活に入っていたが昨年夏に体調を崩し、年末にはさらに悪化、死因はがん性胸膜炎だった。

 1961年青森市生まれ。83年、国士舘大学卒業後、同大助手となりモスクワ世界選手権無差別で優勝。84年のロス五輪で95キロ超級で優勝し、金メダルを獲得した。国内では山下泰裕氏(現全柔連副会長)の好敵手として激闘を繰り広げ、体重無差別の全日本選手権は83年から3年連続決勝で挑んで敗戦。88年に同選手権を制し、同年のソウル五輪で個人としては2度目、この大会日本柔道唯一の金メダルを獲得した。

 引退後は国士舘大教授となり、04年のアテネ五輪、08年の北京五輪では日本男子選手団監督を務めた。その後、全日本柔道連盟の強化委員長となり、13年には女子日本代表幹部のパワーハラスメント問題に携わり、柔道界のモラル確立を目指していた矢先に病に倒れた。
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/01/20/kiji/K20150120009660300.html

柔道については詳しくなく、斉藤氏についても世間一般以上の知識を持っているわけではないが、改めて吃驚したのは斉藤氏は俺と同い年だということだ(正確には俺よりも約2か月年上)*1。こういうことというのは、やはり根拠もなく動揺する。
斉藤仁氏については、


陳舜臣大豊泰昭陳大豊)、斉藤仁死去」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150122/1421883600
溝口紀子「仁義の柔道家斉藤仁さんへのオマージュ〜」http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizoguchinoriko/20150121-00042408/

も参照のこと。
因みに、1963年生まれの元ドラゴンズ大豊さん*2はもっと年下だと思っていた。それは、氏が童顔だったことと、兵役で来日が遅れたりして、プロ・デビューが遅かったためだろう。